筑波大学サッカー部に、ちょっと異色の経歴を持つ4年生がいます。
その名は、相澤知哉選手。
理工学群に在籍しながら、トップチームのピッチに立つMFです。
体育専門学群の選手たちが多くを占めるなか、カリキュラムも時間割もまったく異なる理系の学部に通いながら、関東大学サッカーリーグ1部の舞台で躍動しています。
もともと相澤知哉選手が描いていた進路は、サッカー選手ではありませんでした。
得意な物理の知識を活かして、大好きなF1に関わるエンジニアになること——それが、かつての夢だったんです。
でも今、相澤知哉選手の口からはっきりとこんな言葉が飛び出しています。
「やるからにはこの1年間、プロを目指していきたい」
エンジニア志望から、プロサッカー選手へ。
一見すると大きく方向転換したように見えるこの進路の変化には、文武両道を愚直に貫いてきた相澤知哉選手ならではの、熱くて真っすぐなストーリーがありました。
一般入試→理工学群…筑波大で「文武両道」
— FOOTBALL ZONE (@zonewebofficial) April 5, 2026
エンジニア志望から激変「プロを目指して」
筑波大・相澤知哉👤…
〜もくじ〜
相澤知哉のプロフィール
まずは、相澤知哉選手のプロフィールをご紹介しましょう。
| 項目 | 詳細 |
| 所属 | 筑波大学 |
| ポジション | MF |
| 生年月日 | 2004年7月3日 |
| 身長/体重 | 171cm/65kg |
| 出身地 | 愛知県刈谷市 |
愛知県刈谷市で生まれた相澤知哉選手は、地元のクラブチーム・刈谷トラヴェッソSCでサッカーと出会いました。
そこからの進路は、実に一本筋の通ったものです。
中学では地元の強豪・刈谷JYでプレー。
【U-15クラ選東海 決勝】
— おかやん (@tenkyu_130) July 7, 2019
HT: 名古屋U-15 0-1 刈谷JY.
前半ATにPA内でハンドボールのペナルティを犯し退場。PKを決められ1点ビハインドで後半へ。
刈谷JY
⚽️⑨相澤知哉 35+8分(PK)#grampus #ngeu15 pic.twitter.com/jNocJCWnzU
高校は地元の進学校でありながらサッカーの名門でもある刈谷高校へと進み、トップ下の主軸として活躍しました。
そして現在は、サッカーの強豪校として知られる筑波大学のトップチームに名を連ねています。
刈谷市から始まり、ずっと地元の環境でサッカーも勉強も積み上げてきた相澤知哉選手。
華やかなスカウトや特別な推薦ルートとは無縁の、地道で誠実なキャリアを歩んできました。
そんな彼がどのように筑波大のトップチームまで辿り着いたのか、次の章から詳しく見ていきましょう。
「赤ダスキ」への憧れと小学生時代に描いた進路
相澤知哉選手の進路の原点は、小学生のころにまで遡ります。
自宅の近所にあるグラウンドで試合をする刈谷高校サッカー部の姿を、幼いころからずっと見て育ってきた相澤知哉選手。
その胸に刻まれたのが、白地に赤のたすきが入った“伝統の赤ダスキ”ユニフォームへの憧れでした。
そして驚くことに、相澤知哉選手は小学校高学年の時点で、すでに自分の進路をこう決めていたといいます。
「刈高~筑波大に進学して、サッカーも勉強も両方ハイレベルでやる」
10代にも満たない年齢で、これほど明確なビジョンを持てる選手がどれだけいるでしょうか。
しかもそれを、有言実行で叶えてしまっているところが相澤知哉選手のすごさです。
その憧れの刈谷高校とは、どんな学校なのでしょうか。
愛知県刈谷市にある刈谷高校は、県内屈指の進学校としての顔と、サッカー強豪校としての顔を併せ持つ、まさに文武両道を体現する伝統校です。
全国高校サッカー選手権への出場はなんと19回を誇り、1955年度・1958年度には準優勝という輝かしい実績も残しています。
インターハイでも1967年度に準優勝を経験しており、地域を超えてその名を全国に轟かせてきた名門です。
そんな学校の象徴が、白地に赤のたすきが走る”赤ダスキ”のユニフォーム。
地元の子どもたちがその姿に憧れを抱くのは、自然なことかもしれません。
理工学群を選んだ理由――もう一つの進路
刈谷高校でサッカーに打ち込みながらも、相澤知哉選手にはもう一つの進路への想いがありました。
高校2年生のタイミングで理系を選択した相澤知哉選手。
その理由を、本人はこう語っています。
「科目のなかで物理が得意だったのと、サッカー以外にはF1が大好きなので、将来はF1に関わるような仕事ができたら最高だなと思っていました」
サッカー少年の顔の裏に、F1への情熱を燃やす理系少年の顔があったんです。
エンジン設計などのエンジニアを夢見て、筑波大学への進学も体育専門学群ではなく、理工学群を受験しました。
ここが相澤知哉選手の、他の選手とは一線を画すところです。
筑波大サッカー部のトップチームで唯一、理工学群に所属する選手として、体育専門学群とは異なるカリキュラムや時間割のなかで、サッカーと勉強を両立させてきました。
スケジュール管理の大変さは想像に難くありませんが、それでも相澤知哉選手は前向きにこう言い切ります。
「小さい頃から文武両道をやりきることに憧れていましたし、好きな理系を学びながらサッカーもハイレベルな環境で一生懸命できることは、僕にとって幸せなことなんです」
どんなに苦しくても、自分で選んだ進路だから、幸せだと言える。
その言葉には、覚悟と誇りが滲み出ていますよね。
そして現在、相澤知哉選手の専攻は理工学群のなかでも社会工学類へと移っています。
これは単なる気まぐれな進路変更ではありません。
都市・経済・マネジメントの領域を含むこの学類を選んだ理由を、相澤知哉選手はこう説明しています。
「技術者というより、マネジメントなどに興味を持ち始めて、文理融合をして理系的な経済システムの構築をやりたいと思って選びました」
純粋な理系エンジニアの夢から、文理を横断した経済システムの構築へ。
進路のアップデートを恐れず、自分の興味の変化に正直に向き合える柔軟さもまた、相澤知哉選手という人間の魅力のひとつではないでしょうか。
サッカーでも、学問でも、進路は一度決めたら終わりじゃない。
相澤知哉選手はそれを、自らの行動で体現し続けています。
サッカー面での進路——下積みからトップへ
学問の面では着実に自分の進路を切り開いてきた相澤知哉選手ですが、サッカー面での道のりは、決して順風満帆ではありませんでした。
筑波大に入学した当初、相澤知哉選手のスタート地点は最も下のカテゴリーでした。
一般入試で入部した相澤知哉選手にとって、トップチームはまさに「遠い存在」。
それでも腐ることなく、ひたむきにボールを追い続けました。
3年生の前半はセカンドチームでも控えの存在でしたが、後期に入ってから徐々に出番を掴み取り、序列を少しずつ、しかし確実に上げていったのです。
そして昨年末、ついに待望のトップチーム昇格を手にします。
しかし、
「ついに来た」
そう思った矢先のことでした。
昇格直後に怪我を負ってしまい、多くの選手が憧れる舞台であるインカレのメンバー入りを果たすことができなかったのです。
「本当に悔しかった」
その一言に、どれだけの思いが詰まっていたことでしょう。
長い下積みを経てようやく掴んだトップの切符。
それなのに、怪我という不運が立ちはだかった。
その悔しさをバネに、相澤知哉選手は今シーズンへの強い覚悟を胸に刻みました。
「今年は何がなんでも試合出場をしてやると思って臨みました」
そして迎えた、2025年シーズンの開幕戦。
相手は今季から関東大学サッカーリーグ1部に昇格してきた、早稲田大学です。
舞台は西が丘サッカー場。
前年度王者として2連覇を狙う筑波大にとって、絶対に落とせない一戦でした。
そのピッチに、相澤知哉選手はスタメンとして初めて立ちました。
しかもトップ公式戦の初出場が、いきなりの開幕スタメンという大抜擢です。
190センチの大型FW小林俊瑛選手とともに2トップを組んだ相澤知哉選手は、降りしきる雨のなかでも精力的に動き続けました。
小林選手のポストプレーを受けたり、ライン間に顔を出して縦パスを引き出したり、泥臭く献身的なプレーでチームを支えようとしました。
しかし試合はカウンターから失点を喫し、後半12分に最初の交代としてベンチへ退くことに。チームも1-2で敗れ、2連覇への出発点で躓く苦しい結果となりました。
試合後、相澤知哉選手は悔しさをこう表現しています。
「出ていることに喜んでいてはダメだし、自分の実力不足と責任の重さを痛感しました」
最下位カテゴリーからトップへ。
長い下積みを経てついに立ったピッチで、相澤知哉選手が感じたのは喜びよりも先に、責任と悔しさでした。
その真摯な姿勢こそが、相澤知哉選手というサッカー選手の本質を物語っているように思います。
ゾーンでは初のトップチームの公式戦がいきなり関東大学サッカーリーグ1部の開幕戦@西が丘サッカー場という筑波大4年生MF相澤知哉について描きました。
— 安藤隆人@サッカージャーナリスト、ノンフィクション作家 (@takahitoando) April 6, 2026
刈谷高校理系→一般入試で筑波大学理工学群。
トップチーム唯一の理工学群サッカー選手。その頭の中を描きました。#大学サッカー https://t.co/iB8awu6N6j
進路の再定義——「プロを目指す」という決断
トップチームのピッチに立つという経験は、相澤知哉選手の「進路」に対する考え方そのものを、大きく塗り替えることになりました。
つい最近まで、相澤知哉選手は大学サッカーをこう位置づけていたといいます。
「去年まで大学サッカーは僕にとって、自分のサッカー人生の集大成の場だと考えていました」
つまり、大学サッカーがゴールだったんです。
エンジニアやマネジメントの領域で働くという学問面での進路を歩みながら、サッカーは大学で燃焼し切る——それが相澤知哉選手の描いていた進路でした。
ところが、トップチームで実際にピッチに立ったことで、その景色が一変します。
「こうしてトップで出場できるようになって、より『もっとサッカーを続けたい』という思いが強くなってきました」
集大成のはずだった場所が、いつの間にか通過点に変わっていた。
それは、相澤知哉選手がトップのレベルに触れたからこそ芽生えた、リアルな感覚だったのではないでしょうか。
下積みを経てようやく立てたピッチで感じた手応えと悔しさが、「まだ終われない」という気持ちに火をつけたのです。
そして相澤知哉選手は、自分の進路を自らの言葉で再定義しました。
「やるからにはこの1年間、プロを目指していきたいなと思っています」
この言葉の重さを、少し考えてみてください。
理工学群という、サッカー推薦とは無縁の場所から筑波大に入り、最下位カテゴリーから這い上がり、怪我という挫折も乗り越えてきた選手が、4年生になって初めてトップのピッチに立ち、そして「プロを目指す」と言っているのです。
夢を諦めるどころか、新しい夢を上乗せしてきた。
その姿勢は、サッカーに限らず、自分の進路に迷うすべての人への、静かで力強いメッセージのように響いてきますよね。
進路は、変わっていい。アップデートしていい。
大切なのは、そのときどきの自分の気持ちに正直に、そして真剣に向き合い続けることなのかもしれません。
相澤知哉選手という選手は、まさにそれを体現しています。
相澤知哉のまとめ
エンジニア志望から、F1への夢、社会工学類への転向、そしてプロサッカー選手という新たな目標へ。
相澤知哉選手の進路は、一見するとあちこちに揺れ動いているように見えるかもしれません。
でも、その根っこにあるものは、ずっと変わっていないんです。
「サッカーも勉強も、どちらも本気でやり切る」
小学生のころに心に刻んだその一言を、相澤知哉選手は一度もブレることなく貫いてきました。
進路の中身は変わっても、その姿勢だけは変わらない。
だからこそ、どんな選択をしても、どんな挫折があっても、前を向き続けることができるのだと思います。
理工学群からトップチームへ。最下位カテゴリーから開幕スタメンへ。
「集大成」のはずだった場所を「通過点」へと塗り替えて、プロという新たな進路を堂々と宣言する相澤知哉選手。
文武両道の先に広がる景色を、相澤知哉選手はこれからも踏み出しながら見つけていくのでしょう。
その一歩一歩を、これからも注目して応援していきたいと思いますね!
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