センバツ初出場を決めた佐賀県立有田工業野球部の梅崎信司監督。
現役時代、梅崎信司監督はプロのスカウトが注目するほどのキャッチャーだったそうです。
しかし、大学時代に怪我をしたためにプロを断念。
大学を卒業後は、指導者として甲子園を目指していましたが、ついに2022年に初出場を果たしました。
有田工センバツ初出場 梅崎監督「感無量。夢がやっとかなうと思うと選手たちに感謝しかない」― スポニチ Sponichi Annex 野球 https://t.co/sqFXVwK5fC
— スポニチ野球記者’22 (@SponichiYakyu) January 28, 2022
梅崎信司のプロフィール
名前:梅崎 信司(うめざき しんじ)
生年月日:1979年8月9日
出身:佐賀県有田町(現・西有田町)
経歴:佐賀県立佐賀東高等学校→日本体育大学
梅崎信司の現役時代
佐賀県有田町で生まれ育った梅崎信司監督は、中学卒業後、甲子園を目指すために地元を離れ、佐賀東高校に進学します。
梅崎信司監督はプロ注目の強肩キャッチャーとして活躍されていましたが、高校3年間で甲子園出場はならず。
卒業後は、4年後のプロ入りを目標に日本体育大学に進学しました。
大学では2年春から4番・DHでリーグ戦に出場。
しかし、3年夏のシートノック中に送球が目に当たり、視力が減退しています。
そのため、3年秋から4年春にかけては控えに回っていました。
その後も視力は回復しませんでしたが、4年秋にはキャッチャーとして復帰!
4年秋のリーグ戦では打率.375、2本塁打の好成績を残しています。
プロを諦めきれない梅崎信司監督は翌年、2球団のプロテストを受験しました。
しかし、結果は不合格・・・。
プロテスト終了後、梅崎信司監督は高校時代から目をかけてくれていた広島の宮川孝雄スカウトから
「やはり、プロは難しい。指導者を目指したらどうだ?」
と言葉をかけられ、高校野球の監督になることを決意しました。
梅崎信司の指導者時代
佐賀県に戻った梅崎信司監督は高校教師となり、母校の佐賀東高校や伊万里農林のコーチをされていました。
そして、2006年から佐賀東高校の監督に就任。
2014年から塩田工業の監督を務めた後、2018年4月に有田工業野球部の監督に就任しました。
就任3年目の秋には60年ぶりに九州大会に出場。
九州大会ではエースの塚本侑弥投手の2試合連続完封もあり、ベスト4まで進出し、初のセンバツ出場を決めています。
有田工・梅崎信司監督が数年前から取り入れた「けん玉チャレンジ」。練習終了後、着替えを済ませた選手たちはけん玉に挑戦し、成功すれば即帰宅OK。失敗すれば腕立て伏せ10回。3回失敗(3アウト)すれば腕立て伏せ倍増という、まさに毎日の最後を飾るに相応しい必死の挑戦が恒例となっています。(加) pic.twitter.com/WBDtUB8iP8
— 【公式】輝け甲子園の星 編集部 (@koshienno_hoshi) January 8, 2022
梅崎信司の結婚した嫁
梅崎信司監督は佐賀東高校の監督をされていた2009年ごろに結婚されています。
奥さんの名前などはわかっていませんが、結婚当時に保育士をされていたそうです。
噂によると、奥さんは美人らしいとのこと。
結婚式の様子についてはこちらのブログに書いてありました→NO BASEBALL NO LIFE
梅崎信司監督の奥さんや子供についてもっと詳しいことがわかりましたら、改めて追記させていだきますね。
梅崎信司のまとめ
有田工業は、春は初めての甲子園出場ですが、
夏は古川侑利投手(現・日本ハム)を擁して2013年に1度、甲子園に出場したことがあります。
その時は1回戦で大垣日大に勝利したものの、常葉菊川に敗れ、2回戦敗退でした。
梅崎信司監督率いる今年の有田工業には、前回超えられなかった2回戦突破を期待したいですね!