米子松蔭高校野球部の塩塚尚人監督は1992年生まれの青年監督です。
慶應義塾大学出身で、大学卒業後は鹿児島銀行で勤務されていましたが、高校野球の指導者を目指して退行。
2020年7月に米子松蔭高校野球部に就任すると、2024年秋の中国大会では岡山の創志学園、広島の盈進といった強豪校を次々と倒し、準優勝!
米子松蔭高校野球部を33年ぶり2回目となるセンバツ出場に導いています。
今回はそんな塩塚尚人監督の家族や経歴などについて調べてみました。
【 #高校野球物語2025春 】#米子松蔭 の塩塚尚人監督は、慶応大を卒業して鹿児島銀行に就職しました。
— 毎日新聞高校野球 (@maikoukouyakyu) March 11, 2025
仕事が順調だったにもかかわらず、監督に転身した理由とは…
#選抜高校野球
「本気で頭取を…」 米子松蔭・塩塚監督、銀行員から転身で得た喜び – 毎日新聞https://t.co/GIEQZVadt2
塩塚尚人のプロフィール
名前:塩塚 尚人(しおづか なおと)
生年月日:1992年2月6日
出身:鹿児島県鹿児島市
身長:168cm
経歴:鹿児島県立鶴丸高等学校→慶應義塾大学

塩塚尚人の父
塩塚尚人監督のお父さんは鹿児島県の公立高校で野球部の監督をされています。
塩塚尚人監督はお父さんの影響で、物心が付いた時から、
「どうやったら甲子園に行かせてやれるか」
と考えていたそうです。
父が鹿児島県の公立高校野球部監督で、チーム強化に日々を費やす姿を見て育った。「物心が付いた時から、『どうやったら甲子園に行かせてやれるか』と私も考えていた」。父に連れられてグラウンドに行き、小中学生の時から高校生と練習をさせてもらい、野球部寮に父と泊まった。当然のように高校野球の世界に憧れ、甲子園を強く意識するようになった。
春への軌跡
鹿児島県にある公立高校の野球部監督について調べてみましたら、鹿児島県立喜界高校、鹿児島県立鹿児島東高校、鹿児島県立枕崎高校、鹿児島県立鹿屋工業高校で監督や部長を務められていた塩塚隆夫さんという方が見つかりました。
ただ、この人物が塩塚尚人監督のお父さんであると言う確証は得られませんでした。
塩塚尚人の現役時代
塩塚尚人監督は公立の進学校・鹿児島県立鶴丸高校の出身です。
鶴丸高校の偏差値は73!
塩塚尚人監督は内野手(セカンド)としてプレーしていましたが、高校3年間で甲子園出場はならず。
高校卒業後は慶應義塾大学の環境情報学部に一般入試で合格!
大学の同期には元日本ハムの白村明弘さんらがおり、全日本大学野球選手権では大学1年時にベスト4、2年時には準優勝を経験しています。
しかし、同学年だけで50人の大所帯だったこともあり、4年間で一度もベンチ入りは叶いませんでした。
塩塚尚人の指導者時代
大学卒業後は鹿児島銀行で4年間、勤務されていましたが、指導者になる夢が捨てきれず、2018年に教員に転身。
鹿児島県の養護学校での1年間の常勤講師勤務を経て、2019年春から米子松蔭高校に地歴公民科の教諭として赴任、野球部のコーチに就任しました。
なぜ、鹿児島出身の塩塚尚人監督が、鳥取県の監督に?と思う人もいるかもしれませんが、
全ては人の縁によるものだったそうです。
人脈の起点は、同じ東京六大学の立教大出身で、親交のあった阪長友仁氏(高校野球の私設リーグ「LIGA Agresiva」を運営)。そこから、阪長氏が総監督を務める堺ビッグボーイズの元監督で、現在はGMを担う瀬野竜之介氏、瀬野氏から、野球道具販売での契約関係にあるグラブメーカー・アイピーセレクトの代表である鈴木一平氏、そして鈴木氏と社会人野球・王子製紙米子のチームメートで、当時米子松蔭を率いていた笠尾幸広・前監督へとつながり、「それならウチに」と話がまとまった。
山陰中央新報デジタル
2020年夏の大会、直前に笠尾前監督の退任に伴い、監督に昇格しました。
約1年後の2021年春の鳥取県大会で監督として初優勝。
その後も2023年秋に優勝、2024年夏に準優勝。
そして、2024年秋には鳥取県大会準優勝、中国大会準優勝を果たし、甲子園出場を決めています。
米子松蔭、「脱サラ」塩塚尚人監督 経営者から学んだ「主体性」 センバツ高校野球に挑むhttps://t.co/NTLmkdY5G1#米子松蔭高校野球部 の…
— 山陰中央新報 (@SaninChuo_) January 24, 2025
塩塚尚人の指導方針
塩塚尚人監督は「監督のような選手を育てる」をチーム作りの信条とされていて、選手の主体性を重要視されています。
主体性の大切さは銀行員時代に学んだことだそうです。
経営者や社員と向き合う中で、彼らにある共通点を見いだした。
「良い企業には、社長のように自分で考える社員が多い」ことだ。
高校野球に転じると「監督の指示に選手がただ従う上意下達のチームではなく、自分たちで考えてプレーをするネットワーク型こそ力を発揮する」となる。
塩塚尚人のまとめ
監督として初の甲子園出場を決めた塩塚尚人監督。
まだ30代前半と若いこともあり、これから何度も甲子園に出場することになるでしょう。
まずは初めての甲子園でどんな采配を見せてくれるのか、とても楽しみですね!