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樺田魁はドラフト候補だった?出身高校大学や職業は?イケメン!

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相席野球ドラフト1位シカゴノブスへの入団を決めた樺田魁選手

樺田魁選手高校時代にはプロ4球団のスカウトが視察に訪れるほどのピッチャーでした。

しかし大学時代にボールが上手く投げられなくなるイップスを発症し、野手転向

現在社会人野球Hogrel BCでプレーする傍ら、学生チームのコーチモデルとして活動されています。

樺田魁のプロフィール

名前:樺田 魁(かばた かい)
生年月日:2000年8月24日
出身:神奈川県
身長:180cm
体重:80kg
投打:右投げ右打ち
ポジション:外野手兼内野手兼投手
経歴:茅ヶ崎市立松浪中学校→横浜市立横浜商業高等学校→敬愛大学

樺田魁の中学時代

樺田魁選手茅ヶ崎市立松浪中学校時代には軟式野球部に所属していました。

その頃からピッチャーで、ストレートの最速140km/hを記録!

中学3年時には神奈川県内外の10数校からスカウトがありましたが
「自分の力でY校を甲子園に…。自分が復活させたい」
と、古豪・横浜商業高校進学しました。

樺田魁の高校時代

横浜商業高校は春9回夏7回、甲子園に出場している公立の学校です。

OBにはプロ野球選手多数います。

樺田魁選手2学年下にも笹川吉康選手(現・ソフトバンク)がいました。

 

樺田魁選手は高校では1年の夏からベンチ入り

エースとして臨んだ3年夏南神奈川県大会1回戦では7回参考ながら、ノーヒットノーランを達成しています。

さらに2回戦ではシード校横浜隼人高校撃破しましたが、
続く3回戦では星槎国際湘南高校0対2で敗れ、甲子園出場はなりませんでした。

高校時代の最速147km/h

樺田魁の大学時代

高校卒業後は敬愛大学進学

大学では1年生の春最速150km/hをマークしましたが、その後、右肘疲労骨折してしまいます。

さらにイップスを発症し、約2年半野球ができない時期が続きました。

結局、大学時代にはピッチャーとして復活できずに、3年生の夏野手転向

4年春のリーグ戦ではDHで、4番打者として出場していました。

敬愛大学の同期のチームメイトには信濃グランセローズドラフト候補三浦ジェスヨロボ大颯選手らがいました。

樺田魁の社会人時代

大学卒業後、樺田魁選手は社会人クラブチームのHogrel BC入団しました。


また小学生から高校生までを対象にした野球チームである東京インディペンデンツ育成会コーチ兼任

さらにモデルとしても活躍されています。

樺田魁のまとめ

樺田魁選手体が動かなくなる40歳手前ぐらいまでは現役を続け、それからはイップスや故障から復活した過程で学んだことをいろんな方たちに発信していきたい、と話されています。

今後の樺田魁選手活躍が楽しみですね!


相席食堂野球チームではフリーザこと西本悠馬選手にも注目が集まっています。

西本悠馬選手についてはこちらを→西本悠馬(フリーザ)の出身高校や大学は?進路は?ソフトボールもすごい!