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黒坂洋介監督(昌平)のwiki風経歴!退任理由は不祥事?

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昌平高校野球部黒坂洋介監督退任が発表され、話題になっています。

黒坂洋介監督といえば、甲子園出場こそはありませんが、昨秋今春2季連続埼玉県大会優勝に導いている名監督です。

2021年には同校初のプロ野球選手として吉野創士選手(現・楽天)を育て上げ、ドラフト1位プロ入りさせています。

そんな黒坂洋介監督がなぜ秋季大会の途中というタイミングで辞めることになったのでしょうか?

今回は黒坂洋介監督経歴と併せて、退任の理由についても調べてみました。

黒坂洋介のプロフィール

名前:黒坂 洋介(くろさか ようすけ)
生年月日:1975年6月15日
出身:東京都
経歴:東和大昌平高校(現・昌平高校)→駒澤大学→シダックス

黒坂洋介の現役時代

東京都大田区で生まれた黒坂洋介監督は、幼い頃に埼玉県越谷市に引っ越しています。

中学時代から軟式野球で頭角を現し、高校進学時には強豪・花咲徳栄高校から特待生の誘いもあったそうです。

しかし、黒坂洋介監督はこの誘いを断り、チームの雰囲気塚本公二監督の人柄に惹かれ、
東和大昌平高校(現・昌平高校)進学しました。

高校では185cmの大型外野手として活躍しましたが、残念ながら甲子園出場はならず。

高校3年夏埼玉県大会5回戦浦和学院1対2で敗れています。


高校卒業後は駒澤大学進学

駒澤大学同期のチームメイトには高橋尚成さん(元・巨人)らがいました。


大学卒業後はシダックス入社し、野球を続けます。

入社6年目27歳の時にシダックスの監督故・野村克也さん就任

黒坂洋介監督野村克也さんの下で野球をしたのはわずか2年間でしたが、その後の指導者人生に礎となるとても多くのことを学んだそうです。

黒坂は野村野球の虜になった。試合ではスタメンを外れることが多く、主に出番は守備固めだったが、ベンチでは野村の近くに座った。野村は相手投手の癖や、相手バッテリーの配球の傾向を見破るポイントを黒坂に指摘した。情報を共有し、チーム全体で攻略する。そんな野球が面白く、楽しくなっていった。

ドラ1・吉野創士を育てた昌平高・黒坂監督、指導の原点はノムさんだった

黒坂洋介の指導者時代

現役引退後の2005年春から東和大昌平高校(現・昌平高校)監督就任します。

就任1年目夏の埼玉県大会ではいきなりベスト8入りを果たしますが、2007年から学校の運営母体が変更となった影響で、2008年監督辞任

監督を辞めた後は、不動産管理の仕事などに従事しながら、長男の所属する軟式少年野球チームコーチを務めていました。

その後、2017年秋昌平高校監督復帰

2022年秋2023年春には埼玉県大会優勝を達成しています。

黒坂洋介の退任理由

大会期間中の突然の退任ということもあり、黒坂洋介監督退任理由については、様々な憶測が飛び交っています。

ネット上では“行き過ぎた指導(暴言、暴力)”があったのではないか?とも言われていますが、特に確証は得られませんでした。


黒坂洋介監督は周りからの評判もとても良く、感情に任せて行動するような人ではなさそうですので、暴力などの不祥事ではないと思いますね。

黒坂洋介監督退任理由について何かわかりましたら、改めて追記させていただきます。

黒坂洋介のまとめ

黒坂洋介監督何があったかはわかりませんが、その指導力本物です。

ぜひ、別の場所でもいいから、また指導者として、野村克也さんから教わったことを若い世代に伝えていってほしいですね!