陸上

中西大翔(國學院大)の進路は旭化成?双子の兄や母もすごい?

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國學院大學エース主将中西大翔選手

「中西大翔」名前の読み方“なかにし たいが”

大学3大駅伝には1年生からすべて出場している長距離ランナーです。

5000m國學院大學記録も樹立しています。

今回はそんな中西大翔選手家族進路について調べてみました。

中西大翔(たいが)のプロフィール

名前:中西 大翔(なかにし たいが)
生年月日:2000年5月27日
出身:石川県金沢市
身長:167.5cm
体重:55kg
経歴:金沢市立緑中学校→金沢龍谷高校→國學院大學

中西大翔(たいが)の双子の兄・中西唯翔

中西大翔選手双子の兄は、國學院大學陸上部に所属している中西唯翔(ゆいと)選手です。

唯翔選手も全日本大学駅伝大会1年生から出場するほどの実力を持っています。

2年時からは怪我に苦しんでいますが、今年(2022年)の東海大記録会では自己ベストを更新し、復活を果たしています。

中西大翔選手と唯翔選手は双子だけあって、とてもそっくりです。


見分け方としては、の唯翔選手の右目下にはホクロがありますが、中西大翔選手にはホクロがありません。

また、走っている時に、右手腕時計をしているのが唯翔選手で、左手腕時計をしているのが中西大翔選手です。

中西大翔(たいが)の母

中西大翔選手と唯翔選手は母子家庭で、お母さんが女手一つで、二人を育てられています。


お母さんについて調べてみましたが、職業などはわかりませんでした。

唯一、わかったことは、お母さん美人だということだけです。


中西大翔選手と唯翔選手も整った顔立ちをしていますので、お母さん似なのかもしれませんね。

中西大翔(たいが)の小中学時代

小学校の頃、野球をやっていた中西大翔選手は、中学に入ってから、お兄さんと一緒に陸上を始めました。

中学2年時には北信越中学校陸上競技大会1500m2位という好成績を収めています。

練習場所が同じだったことから、金沢龍谷高校陸上部の人たちと一緒に練習しており、その頃から、
「箱根を走りたい」
と話されていたそうです。

小学生のころは野球に親しみ、金沢市緑中学校で共に陸上を始めた二人。二年生のころ、練習場所が同じだった金沢龍谷高校陸上部の須加敬夫監督(65)と出会い、高校生に交じって練習するようになった。須加監督は「当時から『箱根を走りたい』と。貪欲に毎日来るので、何とかしてやりたいと思った」と振り返る。 

中日新聞

中西大翔(たいが)の高校時代

中学卒業後は家から近いこともあり、金沢龍谷高校進学

高校では3年生時北信越高校総体5000m 5位1500m2位という成績を残しています。


また、世界クロスカントリー大会に出場するU-20日本代表にも選ばれていました。

中西大翔(たいが)の大学時代

國學院大學に進学後は1年生出雲駅伝大学3大駅伝デビュー

2区を任されると、区間3位の走りで、優勝に貢献しました。

その後も、大学3大駅伝にはすべて出場中。

1年生全日本大学駅伝では6区を走り、区間5位(チームは総合7位)。
1年生箱根駅伝では4区を走り、区間3位(チームは総合3位)。

2年生出雲駅伝は新型コロナウイルスの影響で中止
2年生全日本大学駅伝では3区を走り、区間8位(チームは総合9位)。
2年生箱根駅伝では2区を走り、区間15位(チームは総合9位)。

3年生出雲駅伝では4区を走り、区間2位(チームは総合4位)。
3年生全日本大学駅伝では3区を走り、区間11位(チームは総合4位)。
3年生箱根駅伝では4区を走り、区間4位(チームは総合8位)。

個人種目では大学4年時日本インカレ5000mで、準優勝を経験しています。

中西大翔(たいが)の進路は旭化成

中西大翔選手は大学卒業後、旭化成に入社し、陸上を続けることが決まっています。

の唯翔選手の進路はまだわかっていませんが、やはり、双子の長距離選手といえば、旭化成ですね!

旭化成にはこれまで、宗猛・宗茂兄弟をはじめ、市田孝・市田宏兄弟、村山謙太・村山紘太兄弟が在籍していました。

ここまでくると、旭化成意識して双子の選手を獲っているとしか思えませんね。

中西大翔(たいが)のまとめ

1年生から主力として活躍していた中西大翔選手もついに大学4年生です。

大学最後の駅伝では、一度くらい、兄の唯翔選手との襷リレーが見てみたいですね!