就任8年目で悲願の箱根駅伝初優勝を狙う、東海大監督・両角速監督。
名前の「両角 速」は「もろずみ はやし」と読みます。
名字も名前も、一見ではちょっと読めないですね。
ネットでは『無能』なんて心無い批判もあるようですが、2019年の箱根駅伝での東海大学は、東洋大学とともに“青山学院大学の5連覇を止める最有力候補”に挙げられています。
今回は、そんな東海大学を率いる両角監督について調べてみました。
プロフィール
名前:両角 速(もろずみ はやし)
生年月日:1966年7月5日
出身:長野県茅野市
身長:?cm
体重:69kg
経歴:東海大三高校→東海大学→日産自動車→ダイエー→佐久長聖→東海大学
現役時代
幼い頃からスポーツが得意で、小学校の頃には“将来は体育教師になる”という夢を持っていました。
中学から陸上部に入り、東海大三高校時代にはインターハイに出場しています。
高校卒業後は、東海大学体育学部へ進学。
大学では名将・新居利広監督の下で着々と実力を付けて、4年連続で箱根を走っています。
大学卒業後は、マラソンでのオリンピック出場を目標に、実業団の日産自動車、ダイエーで陸上を続けました。
佐久長聖監督時代
28歳の時に佐久長聖高校の学長から
「5年以内に都大路(全国高等学校駅伝大会)に出場してくれ」
と頼まれます。
2年後にはアトランタオリンピックがあり悩みましたが、体育教師になる夢を思い出し、監督の話を受けることにしました。
しかし、当初の部員はわずか2人。
さらに専用グランドもない状態からのスタートでした。
グラウンドにする土地はあったのですが、埋蔵文化物が眠っているため、平らにすることが出来なかったそうです。
「学長、無理です!」
わたしならそう言うところですが、両角監督は違いました。
なんと、両角監督は1周600mのクロスカントリーコースを自分で作ってしまいます!
さらにスカウト活動に力を入れ、地元出身の佐藤清治選手などの有望な選手を入学させました。
そして、創部4年目に全国高校駅伝へ出場!
4位入賞を果たしました。
ほとんど0の状態から、5年もかからず達成してしまうなんて、凄すぎますね。
どっかのテレビ局、両角監督の半生をドラマ化しないかな? なんて思っちゃいました。
その後、全国高校駅伝には13回連続出場し、12回入賞。
創部14年目には全国優勝を成し遂げています。
その間、佐藤清治選手、佐藤悠基選手、大迫傑選手などの一流ランナーを育て上げました。
東海大学監督時代
2011年、母校の東海大学の駅伝部監督に就任します。
最初、長野を離れたくない気持ちが強かったそうですが、東海大のOBから
「もうお前しかいない」
と言われて承諾しました。
しかし、就任2年目には悲劇が…!
箱根駅伝の予選会で敗れ、初出場から続いていた連続出場を40年で途切らしてしまいました。
この時はかなり周りから、責められたみたいですね。
それでも、翌年の箱根駅伝で復帰すると、今年で6年連続出場中です。
2017年には大学3大駅伝の一つの出雲駅伝で、10年ぶり4度目の優勝を果たしていて、箱根駅伝の初優勝にも、もう少しで手が届くところにまで来ています。
アスリート一家
両角監督は、奥さんと息子2人の4人家族です。
奥さんの貴子さんは、若い頃はスピードスケートで全国大会に出場するような選手でした。
また、長男の駿さんは、佐久長聖高校在籍時は、全国トップクラスのランナーで、全国高校駅伝や国体に出場し、活躍しました。
高校卒業後は父が監督をする東海大学へ進学。
しかし、高校3年生時に大腿骨を疲労骨折した影響で、故障に苦しめられ、大学2年で陸上を辞められています。
次男・優さんは立教大学・野球部の4年生です。(2018年現在)
ポジションはピッチャーで、佐久長聖高校時には甲子園にも出場しています。
大学では、肘の怪我で思うように投げられなくなり、学生コーチとしてチームを支えています。
本
これまでの経験を生かし、書籍も書かれています。
『中長距離・駅伝 (陸上競技入門ブック)』
『「人間力」で闘う 佐久長聖高校駅伝部強さの理由』
まとめ
今年の両角監督は、箱根駅伝での胴上げ備え、月500キロ走って、17kgのダイエットに成功し、優勝の準備は万端です!
2019年の箱根駅伝では、宙に舞う両角監督の姿が見られるといいですね。