大阪公立大学のドラフト候補・米麦波留選手。
「米麦波留」の名前の読み方は“よねばく はる”
米麦波留選手は野球センスに優れた内野手兼外野手です。
4年春には主将を務め、チームを初の全国大会出場に導いています。
また、米麦波留選手のお兄さんも甲子園で活躍した有名な人物とのこと。
そこで今回は米麦波留選手の経歴や兄弟について調べてみました。
【新幹部紹介】
— 大阪公立大学 硬式野球部 (@omubbc) November 4, 2022
いよいよ新チームが始動しました!
今日から、2年目の大公大野球部を率いる新幹部をご紹介いたします✨
本日は、
新主将 米麦波留(③高松商業)です!
①目指すチーム🔥
日本一になるチーム
②同期のなかで頼りになるのは?
眞銅、正中
③抱負
必ず日本一になります。 pic.twitter.com/dyJLjq2hWL
米麦波留のプロフィール
名前:米麦 波留(よねばく はる)
生年月日:2000年度生まれ
出身:香川県
身長:170cm
体重:68kg
投打:右投げ左打ち
ポジション:ショート兼セカンド兼外野手
経歴:香川県立高松北中学校→香川県立高松商業高校→大阪市立大学→大阪公立大学
米麦波留の兄・米麦圭造
米麦波留選手は3人兄弟の末っ子です。
1番上の兄についてはわかっていませんが、2学年上の2番目の兄・米麦圭造さんも野球をされていました。
圭造さんは米麦波留選手と同じ高松商業の出身で、3年春には主将を務め、センバツ準優勝を達成しています。
高校卒業後は、國學院大學に進学。
しかし、1年生の4月に野球部を辞め、なんと芸能界への道を進んでいます。
古豪・高松商業を20年ぶりに聖地へ導き、主将としてチームを牽引したプリンス・米麦圭造。抜群の野球センスと異性を虜にするルックスを併せ持ち、当時からイケメンと名を馳せた。その後は名門・國學院大学に進学するも野球を断念。現在は端整な顔立ちを活かし、モデルとして活躍。目指すはMr.國學院! pic.twitter.com/9FSIbbOFTc
— 富山の高校野球 (@nozomilabu) July 1, 2019
米麦波留の小中学時代
米麦波留選手は幼稚園年中から野球を始めています。
小学4年生の頃から、シニアのチームのレギュラーとして試合に出るようになり、
4年、5年、6年と、3年連続でなんらかの大会で優勝し、毎年全国大会に出場していました。
中学時代は軟式野球部に所属。
中学卒業後は兄の後を追い、香川県立高松商業高校に進学しました。
米麦波留の高校時代
高校では1年夏からベンチ入りするとともに、ショートのレギュラーを獲得。
1年夏の香川県大会では兄とともに優勝を目指しましたが、決勝で尽誠学園に1対5で敗れ、甲子園出場はなりませんでした。
その後も米麦波留選手はレギュラーとして活躍を続けるものの、高校3年間で甲子園出場はならず。
特に主将を務めていた2年秋の四国大会ではベスト4まで進出しましたが、
センバツには四国大会ベスト8の高知高校が選出されたため、選考漏れとなる悔しい想いを味わっていました。
米麦波留の大学時代
高校卒業後は学業と野球の両立に魅力を感じ、一浪の末、大阪市立大学に進学。
卒業後の進路は大阪市立大を希望した。難関大学からの全国舞台を夢見るようになった。「自分に合っているなと思った。市大しか考えていませんでした」。現役では不合格だったが、初志貫徹で1年の浪人生活の末に合格した。
初の全国決めた大阪公立大・米麦波留主将「兄みたいになりたかったけど」厳しい道を選び花咲かす
大学では3年に上がると同時に大阪府立大学と統合が行われ、野球部も両大学の統合チームになりました。
その時には方針の違いなどを理由に約10人の退部者が出て、チームは苦境に陥りました。
それでも、統合1年目の3年秋にはリーグ優勝。
さらに米麦波留選手が主将となった4年春にもリーグ優勝を果たし、統合前も含めてチーム初の全日本大学野球選手権大会出場を決めています。
頑張って欲しいわねーーー!!
— みー💜💙📣⚾ (@yakyu_ai_ysusm) May 1, 2023
こういう選手って応援したくなる
初の全国決めた大阪公立大・米麦波留主将「兄みたいになりたかったけど」厳しい道を選び花咲かす(日刊スポーツ)#Yahooニュースhttps://t.co/onWnfObvBX
米麦波留の進路
米麦波留選手の大学卒業後の進路は現時点では不明です。
米麦波留選手の進路については何かわかりましたら、改めて追記させていただきます。
米麦波留のまとめ
米麦波留選手は甲子園準優勝の兄と比較されることが多く、「米麦の弟」と呼ばれることが多かったそうです。
中学以降で初となる全国大会では、チームを日本一に導き、「兄超え」を果たしてほしいですね!