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米麦波留(大阪公立大)は主将でドラフト候補!兄もすごい?出身高校や進路は?

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大阪公立大学ドラフト候補米麦波留選手

「米麦波留」名前の読み方“よねばく はる”

米麦波留選手は野球センスに優れた内野手兼外野手です。

4年春には主将を務め、チームを初の全国大会出場に導いています。

また、米麦波留選手お兄さん甲子園で活躍した有名な人物とのこと。

そこで今回は米麦波留選手経歴兄弟について調べてみました。

米麦波留のプロフィール

名前:米麦 波留(よねばく はる)
生年月日:2000年度生まれ
出身:香川県
身長:170cm
体重:68kg
投打:右投げ左打ち
ポジション:ショート兼セカンド兼外野手
経歴:香川県立高松北中学校→香川県立高松商業高校→大阪市立大学→大阪公立大学

米麦波留の兄・米麦圭造

米麦波留選手3人兄弟の末っ子です。

1番上の兄についてはわかっていませんが、2学年上2番目の兄・米麦圭造さんも野球をされていました。

圭造さんは米麦波留選手と同じ高松商業の出身で、3年春には主将を務め、センバツ準優勝を達成しています。

高校卒業後は、國學院大學進学

しかし、1年生の4月に野球部を辞め、なんと芸能界への道を進んでいます。

米麦波留の小中学時代

米麦波留選手幼稚園年中から野球を始めています。

小学4年生の頃から、シニアのチームのレギュラーとして試合に出るようになり、
4年5年6年と、3年連続でなんらかの大会で優勝し、毎年全国大会に出場していました。

中学時代軟式野球部に所属。

中学卒業後はの後を追い、香川県立高松商業高校進学しました。

米麦波留の高校時代

高校では1年夏からベンチ入りするとともに、ショートレギュラーを獲得。

1年夏香川県大会ではとともに優勝を目指しましたが、決勝尽誠学園1対5で敗れ、甲子園出場はなりませんでした。

その後も米麦波留選手はレギュラーとして活躍を続けるものの、高校3年間で甲子園出場はならず。

特に主将を務めていた2年秋四国大会ではベスト4まで進出しましたが、
センバツには四国大会ベスト8高知高校が選出されたため、選考漏れとなる悔しい想いを味わっていました。

米麦波留の大学時代

高校卒業後は学業と野球の両立に魅力を感じ、一浪の末、大阪市立大学進学

卒業後の進路は大阪市立大を希望した。難関大学からの全国舞台を夢見るようになった。「自分に合っているなと思った。市大しか考えていませんでした」。現役では不合格だったが、初志貫徹で1年の浪人生活の末に合格した。

初の全国決めた大阪公立大・米麦波留主将「兄みたいになりたかったけど」厳しい道を選び花咲かす

大学では3年に上がると同時に大阪府立大学と統合が行われ、野球部も両大学の統合チームになりました。

その時には方針の違いなどを理由に約10人の退部者が出て、チームは苦境に陥りました。

それでも、統合1年目3年秋にはリーグ優勝

さらに米麦波留選手主将となった4年春にもリーグ優勝を果たし、統合前も含めてチーム初の全日本大学野球選手権大会出場を決めています。

米麦波留の進路

米麦波留選手大学卒業後の進路は現時点では不明です。

米麦波留選手進路については何かわかりましたら、改めて追記させていただきます。

米麦波留のまとめ

米麦波留選手甲子園準優勝と比較されることが多く、「米麦の弟」と呼ばれることが多かったそうです。

中学以降で初となる全国大会では、チームを日本一に導き、「兄超え」を果たしてほしいですね!