小平敦之の進路は総合商社!なぜ引退を決断?出身中学高校や自己ベストは?
箱根駅伝9区で区間2位。
早稲田大学・小平敦之選手の走りは、多くのファンの記憶に残りました。
その後、スポーツ推薦ではない「一般組」から、17年ぶりに駅伝主将へ。
そんな彼が、卒業後は実業団に進まず総合商社へ就職し、競技生活から退くことを決めています。
なぜトップランナーの道を離れ、ビジネスの世界を選んだのか。
一般組から主将へ駆け上がった軌跡と、その胸に秘めた覚悟をたどります。
役者がそろう今季の #早稲田大。チームを率いるキャプテンの #小平敦之 選手には独自のリーダー像があります。異例の「一般組」主将はどのように誕生したのでしょうか。これまでの人生や伝統校を率いる思いを2回に分けて配信します!
https://t.co/TQ9s6esU0e— 毎日新聞駅伝取材班 (@mainichi_ekiden) July 15, 2026
小平敦之のプロフィールと基本情報
小平敦之選手はスポーツ推薦ではなく一般の枠から早大駅伝チームの中心へ上り詰めた選手です。
まずは基本的なプロフィールを確認しておきましょう。
氏名:小平 敦之(こだいら あつゆき)
生年月日:2004年4月14日
出身地:千葉県柏市
身体データ:身長179cm、体重62kg
所属:早稲田大学 政治経済学部4年 / 競走部長距離ブロック
小平敦之の中学・高校時代の経歴
小平敦之選手の華やかな実績の裏には、挫折もありました。
憧れから始まった中学時代と、競技をやめかけた高校時代を順に見ていきます。
中学時代:大迫傑選手への憧れ
小平敦之選手の出身は千葉県柏市立柏第二中学校。
地元の陸上クラブ「チーム柏」に所属し、全国大会も経験しています。
転機は中学1年生のとき。
TBS系『炎の体育会TV』に出演し、早大OBの大迫傑選手と共演しました。
この出会いで、早稲田の象徴である臙脂のユニホームに強く惹かれます。
のちに早大を目指す原点となった出来事です。
“一般組”から名門の駅伝主将に 中1で大迫傑と共演、憧れの臙脂で大役「スポーツ推薦でない形で…」――早大・小平敦之 | THE ANSWER https://t.co/J1r7p86HYV
— 小平敦之 (@ak_ekidenspirit) May 26, 2026
高校時代:早実での葛藤と成長
中学卒業後は、国分寺市の早稲田実業学校高等部に推薦入学しました。
ただ、順風満帆とはいきません。
貧血と故障を繰り返し、体重も増加。
思うように走れない日々が続きました。
マネージャーへの転向がよぎるほど、精神的にも追い込まれていたそうです。
それでも競技からは離れませんでした。
陸上部の主将とクラスの学級委員を務め、組織をまとめる経験を積みます。
学業でも成績優等賞を受け、文武両道を貫きました。
逃げずに向き合ったこの3年間が、大学での飛躍につながっていきます。
早大一般組から駅伝主将へ。大学4年間の歩み
早稲田大学のスポーツ推薦組が中心の長距離ブロックで、小平敦之選手はどう頭角を現し、主将になったのか。
大学時代の軌跡をたどります。
一般組からの大ブレイクと箱根での快走
小平敦之選手は2023年、早大政治経済学部に内部進学し、競走部長距離ブロックに入部しました。
早大では、スポーツ推薦以外で入った部員を「一般組」と呼びます。
1・2年生の頃は、箱根駅伝の登録メンバー16人にも入れませんでした。
チャンスをつかみ取ったのは、地道な練習と、自分の走りの感覚を言葉にする「言語化」の取り組みです。
3年の秋、成長が一気に表に出ます。
全日本大学駅伝5区で7位に入り、大学駅伝デビュー。
続く第102回箱根駅伝では9区を任され、1時間07分45秒の早大新記録で区間2位。
チームの総合4位に貢献しました。
17年ぶりとなる異例の駅伝主将就任
4年時には、第112代の駅伝主将に就任しました。
スポーツ推薦以外の選手が早大の駅伝主将を務めるのは17年ぶりです。
伝統校では実績豊富なエース級が主将になるのが通例。
一般組からの就任は異例でした。
決め手は、チームビルディングの力と部内での人望です。
個性の強い選手が集まるチームで、選手同士の対話を大切にするスタイルを貫いています。
【箱根駅伝2026】9区で区間2位、同歴代4位の快走を見せ、総合4位を死守することに貢献した早大・小平敦之。来季は駅伝主将として「打倒・青学大」を目指す!
「しっかり早稲田らしさを体現できるレース運びを」 https://t.co/JPmHrXa18p
— 集英社スポルティーバ (@webSportiva) January 20, 2026
小平敦之の自己ベスト一覧と記録
小平敦之選手は高校時代の苦しみを経て、大学では着実に記録を伸ばしてきました。
主な自己ベストは次のとおりです。
1500m:3分55秒06
3000m:8分31秒19
5000m:14分09秒87
10000m:28分59秒94
5km:13分58秒
ハーフマラソン:1時間01分54秒
5000mは2025年3月、10000mは2026年4月、ハーフは2026年2月にマークしたものです。
こうした積み重ねが、箱根9区の区間2位を支えました。
小平敦之が総合商社へ進む理由と引退の決断
一般組から主将になり、箱根でも結果を残した小平敦之選手。
それでも卒業後は競技を離れます。
実業団からの誘いもあったなかで、なぜ総合商社だったのか。
引退を決めた背景を整理します。
箱根駅伝の目標達成と次の舞台への覚悟
背景にあるのは、長年追ってきた夢の達成です。
中学時代から掲げた目標は「箱根駅伝を走ること」。
実際に走り切ったことで、競技人生に一つの区切りがつきました。
一方で、その先にあるオリンピックや日本選手権、ニューイヤー駅伝を目指す明確な覚悟は、自分の中に湧かなかったといいます。
曖昧な気持ちで続ければ、受け入れてくれる企業にも、世界を本気で目指す選手にも失礼になる。
そう考えて、大学卒業というタイミングで区切りをつけることを決断しました。
世界を目指す仲間と自身の限界の見極め
早大競走部には、高校時代から全国の第一線で戦ってきた選手が集まっています。
同期の工藤慎作選手はその代表格。
「世界を目指す圧倒的な個」と日々練習できた環境は、小平敦之選手の競技力を大きく引き上げました。
ただ、間近で才能を見たからこそ、自分の現在地も冷静に見えてきます。
実業団や世界の舞台で戦い抜く自信は、どうしても持ち切れなかったと語っています。
無理に続けず、別の道を選ぶ。
簡単な判断ではなかったはずです。
陸上以外の分野で新たな価値を創出
小平敦之選手が次に向かうのは、ビジネスの最前線、総合商社です。
軸にあるのは「他者への貢献」「成長」「好奇心」という3つの価値観。
これまでは陸上の成績がすべてでしたが、今後は競技の記録に頼らず、ビジネスの場で新しい価値を生み出したいと考えています。
総合商社を選んだ理由は2つ。
携われる事業の幅が広いこと、そして自分を厳しく鍛えられる環境があることです。
将来は、発展途上国への貢献、起業、行政への挑戦といった道も視野に入れています。
アスリートとして培った精神力とリーダーシップが、次の舞台でどう生きるのか。注目です。
小平敦之のまとめ
小平敦之選手は中学時代に大迫傑選手と出会い、高校では故障に苦しみ、大学で一般組から箱根9区の区間2位と17年ぶりの主将就任まで駆け上がりました。
卒業後は競技を離れ、総合商社へ進みます。
決断の根っこには、箱根を走り切った達成感と、自分の限界を冷静に見つめた判断がありました。
陸上で磨いた力を携え、ビジネスの世界でどんな価値を生み出すのか。
小平敦之選手のこれからの歩みを見守りたいと思います。

