学法石川の佐々木順一朗監督。
甲子園通算29勝をあげている高校野球界を代表する名監督です。
教え子にはソフトバンク・上林誠知選手、ロッテ・平沢大河選手ら多数のプロ野球選手がいます。
前任の仙台育英時代には春夏合わせて甲子園に19回出場!
優勝こそはありませんが、春夏一度ずつ準優勝を経験しています。
2018年の11月からは福島県にある学法石川の監督に就任し、甲子園出場を目指しています。
#学法石川(福島)の新監督に就任する佐々木順一朗氏が29日、石川町の同校で記者会見を行った。今秋まで指揮を執っていた上田勇仁前監督(32)はコーチとして残り11月9日から新体制が始まる。福島県のイメージを問われる「#聖光学院 」と素直に口にした。写真は #仙台育英 在籍時。 #高校野球 pic.twitter.com/gnFhQJvjRI
— 日刊スポーツ新聞社東北取材班 (@nikkan_tohoku) September 29, 2018
〜もくじ〜
佐々木順一朗のプロフィール
名前:佐々木 順一朗(ささき じゅんいちろう)
生年月日:1959年11月10日
出身: 宮城県
経歴:東北高校→早稲田大学→電電東北(現・NTT東北)→仙台育英高校→学法石川高校
佐々木順一朗の現役時代
高校時代、佐々木順一朗監督はエースとして2年夏と3年春のセンバツの2度、甲子園に出場。
2年夏はベスト8まで進出しています。
高校卒業後は、早稲田大学に進学。
早稲田大学では、高校時代に痛めた肩の影響で、満足にプレーができませんでした。
佐々木順一朗監督は大学時代を振り返って
「大学4年間はドブネズミみたいなもんでした」
と話されています。
佐々木順一朗の指導者時代
大学卒業後は電電東北(現・NTT東北)に入社。
10年間のサラリーマン生活を経て、1993年に仙台育英のコーチ、1995年8月から監督に就任しました。
1996年の夏に監督として初めて甲子園に出場すると、以降は春夏合わせて甲子園に19回出場!
2001年のセンバツでは、東北勢初の決勝進出を果たし、準優勝に輝きました。
2015年の夏にも佐藤世那投手(現・横浜球友クラブ)、平沢大河選手を擁して決勝まで進出。
決勝では、小笠原慎之介投手(現・中日)のいた東海大相模に6対10で敗れ、再び準優勝に終わっています。
東北初の優勝はならんかったけど日本一長い夏。明るく笑顔いっぱいの仙台育英ナインが泣く姿を見てやっぱ悔しかったんじゃなって思った。
— オサユ (@osayu89i) August 20, 2015
準優勝おめでとう!胸張って東北に…
感動をありがとう。仙台育英が日本一。最高! #甲子園 #オサユカメラ pic.twitter.com/Y19nOzNjgO
その後、2018年3月に仙台育英の監督を辞任、同年11月に学法石川の監督に就任しました。
佐々木順一朗と改名
佐々木順一朗監督は一度改名されています。
以前の名前は“佐々木淳”でした。
改名した理由は詳しくはわかっていませんが、
高校野球は勝負事ですので、縁起を担いで一番の「一」を入れたという説が有力です。
高校野球の監督には改名する人が多いんですよね。
横浜高校の元監督の渡辺元智さんなども「渡辺元」から改名されています。
高校球界の改名話の続き。仙台育英の佐々木順一朗監督も本名は「順」なのだとか。慶應の上田誠監督は名刺に「上田一誠」と刷っています。横浜・小倉さんも含めて「一」を入れたがるのは勝負師ゆえなのでしょうか。それに対し横浜・渡辺監督が「智」を加えたのは、らしい気がします。
— 菊地選手 (@kikuchiplayer) January 18, 2011
佐々木順一朗の指導方針
佐々木順一朗監督はいっさい選手のスカウトはしません。
私立の強豪校としてはかなり珍しいですね。
さらに野球留学についても否定的です。
例えば、仙台育英時代には沖縄からも入学希望者がいましたが、
沖縄と東北では気温や環境が違うことを理由に、地元高校で野球をすることを勧めたと言います。
ただし、それでもどうしても佐々木順一朗監督の下で野球をしたいという選手だけは受け入れてきました。
また、「選手の自主性に任せる」と「体罰0」を徹底しています。
佐々木順一朗監督は練習メニューの原形は作りますが、メニュー内容の変更は選手に任しているそうです。
そのようにして選手が自分で考えて、自分で決断し、行動できるようにしています。
体罰についても
「野球に暴力は必要ないと思ってずっと指導しているので、いまさら暴力追放などとは思いません。人間は怒られたり恐怖を感じたりすれば、身がすくむし、体が硬くなる。その状態でいいパフォーマンスができるはずがない」
と話されています。
こちらは自分が10代の頃、自分が殴られた経験から、辿り着いた考えだそうです。
佐々木順一朗の名言がヤバい?
佐々木順一朗監督はこれまで多くの名言を残してきています。
一番有名なのは
「本気になれば世界が変わる」
これは佐々木順一朗監督がモットーにしている言葉ですね。
その他にも
「上手くいかない時こそ難しく考えるのではなくて、実に面白いと思え」
「良いことがあると変えるのが怖くなるが、変化をしないと成長もない」
「自分の心配はいつでも出来る。人の心配をしろ」
野球だけではなく、実生活にもためになりそうな言葉がたくさんありますね。
もっと佐々木順一朗監督の名言について知りたい方はことらをどうぞ。
佐々木順一朗の不祥事がヤバい?
そんな佐々木順一朗監督ですが、これまでの監督生活の中で何度も不祥事を経験してきました。
春のセンバツで準優勝した2001年秋には、7月に起こった部員の暴力事件を報告しないまま夏の甲子園に出たということで、監督を一度は辞任されています。
その後、2003年春に復帰。
東北大震災が起こった2011年には、野球部員が震災被害にあった無人のリサイクルショップ店に不法侵入し、商品を盗むという事件が起きています。
仙台育英高校は震災後、不祥事を何回やっていますかね?
— しげるちゃん@東京オリパラを台湾の名称で (@masuyamasigayru) December 6, 2017
メディアで大きく取り上げられているもので少なくても3つやってますよ💢
甲子園では相手選手の足を蹴り飛ばすラフプレーの野球しかしない…
甲子園挑戦権剥奪して良いと思いますよ。 pic.twitter.com/EBPD8PcIfO
そして、2017年12月に部員の飲酒、喫煙問題が発覚。
その責任を取る形で、仙台育英の監督を辞任されています。
たしかに不祥事が多いですね。
佐々木順一朗監督の指導方針の一つ「選手の自主性に任せる」というのも、人によっては、選手を放任しすぎているのでは?との見方をする人もいます。
ただし、これだけ不祥事が多いからといって、佐々木順一朗監督の指導力がない、ということではありません。
佐々木順一朗監督が監督に就任する以前から、仙台育英はなにかと問題の多い学校でした。
そのあたりについて書くと話がながくなりますし、本題から外れるので書きませんが、詳しく知りたい人はこちらをどうぞ↓
佐々木順一朗監督がどんなに人間的にすばらしい監督でも、たった一人ではなかなか学校の体質を変えるのは難しかったのではないでしょうか。
佐々木順一朗のまとめ
佐々木順一朗監督が現在監督をされている学法石川は福島県にある古豪です。
甲子園には春3回、夏9回の出場したことがあります。
しかし、最後に甲子園にでたのはもう20年以上前です。
佐々木順一朗監督が監督に就任して以来、確実に強くなったきており、2020年の秋には東北大会にも出場を果たしています。
仙台育英よりは注目されていないぶん、佐々木順一朗監督の理想とするチーム作りができているように感じますね。
学法石川が再び甲子園に出場するのは、もう間もなくではないでしょうか。