日本体育大学のドラフト候補として打者を圧倒し続けている馬場拓海投手。

最大の武器は中学時代に生まれたトルネード投法です。

この記事では馬場拓海投手のプロフィールや経歴、家族についてまとめました。

さらに独特の投球フォームが生まれた背景と、知られざる素顔にも迫ります。

馬場拓海のwiki風プロフィール

名前:馬場 拓海(ばば たくみ)
生年月日:2004年12月20日
出身地:佐賀県佐賀市
身長:184cm
体重:88kg
ポジション:投手
投打:右投右打
学歴:佐賀市立諸富北小学校→佐賀市立諸富中学校→福岡大大濠高等学校→日本体育大学

馬場拓海の球種と最速155km/h超のストレート

馬場拓海投手の最大の武器は、トルネード投法とスリークオーターの組み合わせから繰り出すストレートです。

最速155km/hを記録し、終盤でも150km/h台を連発できるスタミナと出力を備えています。

直球を引き立てる変化球も充実しています。

・スライダー:スリークオーター特有の横の角度を生かし、カウントを取る球と、外角へ逃げる決め球を投げ分けます。

・フォークボール:手元で落として空振りを奪う勝負球です。直球との軌道差で、打者の体勢を崩します。

・カットボール・ツーシーム:手元でわずかに動かしてバットの芯を外し、打たせて取ります。

変則的なリリースポイントに155km/hの威力と豊富な変化球が加わります。

打者にとっては球筋の見極めが極めて難しいピッチャーです。

馬場拓海のトルネード投法誕生秘話

馬場拓海投手の代名詞であるトルネード投法は、一朝一夕で完成したものではありません。

中学時代の挫折と試行錯誤を経て、高校でさらに進化しました。

きれいすぎるフォームの苦悩

トルネード投法が生まれたのは、中学2年のときです。

当時の馬場拓海投手は「投げたら打たれる」という悩みを抱え、マウンドで結果を出せずに苦しんでいました。

転機は指導者からの「フォームがキレイ過ぎて、バッターがタイミングを取りやすい」という一言でした。

フォームが整っているぶん、打者には球筋もタイミングも読みやすかったのです。

馬場拓海投手はこの指摘を受け、フォームを大きく変える決意をします。

長年なじんだ投げ方を変えるのは、普通なら強い違和感を伴います。

ところが馬場拓海投手は新しいトルネードフォームにすんなり切り替えられたそうです。

変更後は打者がタイミングを合わせづらそうにする場面が増え、被安打も失点も激減しました。

野茂英雄氏との違いと制球力

トルネード投法と聞くと、日米で活躍した野茂英雄氏の豪快なフォームを思い浮かべる方も多いでしょう。

馬場拓海投手のフォームも、全身のひねりと反発力を生かす点は同じです。

ただし、独自のアレンジと細かな技術的意識が加わっています。

普通、体をひねりすぎるとバランスが崩れ、コントロールを乱す原因になりかねません。

そこで馬場拓海投手は野茂氏ほど極端には回さず、絶妙な加減を意識して投げています。

またトルネード投法では捕手から一瞬目線が切れるため、コントロールに苦労する場合が多いです。

しかし馬場拓海投手はもともと投球時に一瞬目線を切るタイプでした。

そのため、フォームを変えてもコントロールを乱さず、スムーズに適応できました。

高校時代に見せた腕の角度の変化

フォームの進化は、高校でも続きます。

中学時代の馬場拓海投手は、高い打点から投げ下ろすオーバースローでした。

名門・福岡大大濠高校に進学してからは、投げやすさと自分の感覚を最優先。

すると、腕の位置が自然と下がっていきます。

そして試行錯誤の末にたどり着いたのが、現在のスリークオーターです。

無理に上から投げ下ろすのをやめ、自分の骨格や筋肉の動きに合った角度へ移ったことで、体の開きが抑えられ、ボールにもパワーが伝わりやすくなっています。

この変化がストレートの威力を大きく引き上げ、球速アップにつながりました。

中学でトルネードを生み出し、高校で腕の角度を微調整する。

自分に合うスタイルを愚直に追い続けた努力が現在の投球を支えています。

馬場拓海の球歴と主な実績

大学トップクラスの選手へと成長した馬場拓海投手。

ここではその歩みを年代別に振り返ります。

小・中学校時代:軟式から佐賀フィールドナインへ

佐賀県佐賀市出身の馬場拓海投手は、小学2年生のとき、諸富北小クラブで野球を始めました。

諸富中学校時代は、中学硬式の強豪「佐賀フィールドナイン」に所属します。

中学2年でフォームの試行錯誤を経て、独自のトルネード投法を確立しました。

高校時代:福岡大大濠で甲子園ベスト8

出身高校は福岡県の名門・福岡大大濠高校です。

1年秋からベンチ入りし、主力投手の一角として九州大会準優勝に貢献しました。


2年春にはセンバツに出場し、チームの甲子園ベスト8に貢献しています。

その後は右肘のけがにも見舞われましたが、フォームの改良を重ねてスリークオーターへ進化し、大学へ進みました。

大学時代:日本体育大学で最優秀投手&侍ジャパン選出

首都大学野球の名門・日本体育大学では、1年秋からリーグ戦に登板し、頭角を現します。

3年秋は防御率0.95、39奪三振でリーグトップの成績を残し、最優秀投手に輝きました。

大学4年では侍ジャパン大学日本代表に選ばれ、ワールド カレッジ ベースボール チャンピオンシップ(WCBC)の初代王者にもなりました。

馬場拓海の父親と母親

馬場拓海投手の成長を支えてきたのは、元野球選手の父親と母親です。

2人のエピソードと教えを紹介します。

元野球選手である父親の教え

馬場拓海投手の父親は社会人野球で活躍した馬場大輔さんです。

大輔さんは高校野球の名門・柳川高校を卒業後、専修大学を経て、社会人野球の強豪「いすゞ自動車」でプレー。」

現在は拓海投手が中学時代に所属した「佐賀フィールドナイン」でコーチを務めています。

ちなみに日本体育大学野球部の古城隆利監督は、大輔さんのいすゞ自動車時代にコーチを務めていた人物です。

父親が拓海投手に求めたのは、技術だけではありません。

人間性の成長も強く求め、「常に謙虚でいろ」と厳しく教えてきました。

どれだけ活躍しても満足せず、おごらない。

その姿勢が、馬場拓海投手を大学球界屈指の投手へ育てた土台になっています。

中学時代の母親の言葉

馬場拓海投手の母親の名前や職業は公表されていません。

それでも、息子の野球人生の転機で大きな役割を果たしています。

中学時代、スランプで伸び悩んでいた拓海投手に、お母さんは「このまま野球でダメだったら、どうやって進学するの?」
と言い、勉強をするように仕向けたそうです。

甘やかすのではなく、将来を真剣に考えた問いかけだったからこそ、文武両道の意識が育ち、苦しい状況でも逃げずに自分と向き合う強さが身についたのではないでしょうか。

名門・福岡大大濠への進学、そして日体大での飛躍へとつながる心の土台に、この母親の言葉があったのかもしれませんね。

馬場拓海投手のまとめ

福岡大大濠高校から日本体育大学へ進み、プロからも注目される馬場拓海投手の魅力と軌跡を見てきました。

中学時代、「タイミングが取りやすい」という壁を、自らトルネード投法に取り組んで乗り越えました。

父親の厳格な教えと母親の現実的な支えが、投手としての土台をつくっています。

高校ではスリークオーターへ腕の角度を変え、けがも乗り越えました。

現在ではスカウトからも「上位指名級」と高く評価される存在です。

アマチュア球界で異彩を放ち、苦労を重ねてきた右腕が、いよいよドラフト会議を迎えます。

プロの舞台でどんな投球を見せてくれるのか、とても楽しみですね!

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