2026年夏、拓大紅陵高校野球部が24年ぶりとなる甲子園出場を果たしました!
激闘の千葉大会を制し、チームを甲子園へと導いたのが坂巻展行(さかまき のぶゆき)監督です。
選手時代は名将・小枝守元監督のもとで主将を務め、春夏連続で甲子園に出場した実績を持ちます。
監督就任後は、恩師の熱い想いを受け継ぎながら、選手の長所を伸ばす指導を実践してきました。
「坂巻展行監督はどんな経歴の持ち主なのか」
「どんな指導でチームを復活させたのか」
このような疑問をお持ちの方も多いのではないでしょうか?
本記事では、坂巻展行監督のプロフィールや現役時代の成績、恩師・小枝元監督との絆や指導方針まで詳しく掘り下げます。
拓大紅陵・坂巻展行監督は、
— 高校野球名将チャンネル (@general_basebal) August 11, 2026
日大三への進学をやめた。
1982年、まだ甲子園出場ゼロ。
石と雑草のグラウンドだった拓大紅陵へ。
理由は、そこに前年赴任した監督がいたから。
明日、母校を率いて甲子園へ。
小枝守。#高校野球 pic.twitter.com/V6N76oMgQk
坂巻展行のプロフィール
2026年夏に拓大紅陵高校野球部を24年ぶりの甲子園出場へ導いた坂巻展行監督の生年月日や出身地、学歴などの基本プロフィールをご紹介します。
生年月日や出身地など基本情報
氏名:坂巻 展行(さかまき のぶゆき)
生年月日:1966年生まれ
出身地:埼玉県草加市
役職:拓殖大学紅陵高等学校 野球部監督(2024年就任)
坂巻展行監督は1966年、埼玉県草加市に生まれました。
高校野球界の名将・小枝守元監督の指導のもとで熱い野球人生を歩み、2024年に母校・拓大紅陵の監督に就任。
そして2026年夏、千葉大会を制するという快挙を成し遂げています。
拓大紅陵から日本大学への学歴
坂巻展行監督の学歴は以下の通りです。
・出身小学校:草加市立高砂小学校
・出身中学校:草加市立瀬崎中学校
・出身高校:拓殖大学紅陵高等学校
・出身大学:日本大学
中学時代まで埼玉県草加市で育った坂巻展行監督は、複数の強豪校から誘いを受け、当初は名門・日大三高への進学を決めていました。
しかし、1981年8月に拓大紅陵へ赴任した小枝守監督を追い、1982年に創立直後でグラウンドも整っていなかった同校へ進学。
高校卒業後は日本大学へ進みました。
主将として輝いた現役時代
坂巻展行監督の指導者としての原点は、拓大紅陵および日本大学での選手時代にあります。
恩師・小枝守元監督との出会いから始まった高校時代の激闘や、主将としてチームを牽引した現役時代のエピソードを見ていきます。
小枝監督を追い拓大紅陵へ進学
坂巻展行監督は、中学時代から野球選手として高い評価を受けており、複数の高校野球強豪校からスカウトや誘いを受けていました。
当初は東京の名門・日大三高への進学を心に決めていましたが、進路を大きく変える出会いが訪れます。
日大三高を離れ、1981年8月に新設間もない拓大紅陵の監督へ赴任したのが、小枝守氏でした。
当時30歳だった小枝監督の熱意と人間性に強く惹きつけられた坂巻展行監督は、周囲の驚きをよそに日大三高への進学を取りやめました。
小枝監督を追って、拓大紅陵への進学を決意したのです。
しかし、1982年当時の拓大紅陵野球部は、お世辞にも恵まれた環境とは言えませんでした。
1978年に創立されたばかりの同校に甲子園出場経験はなく、練習場となるグラウンドも山を切り拓いた残土の空き地。
大きな石がいくつも転がり、雑草が伸び放題という新設校同然の惨状でした。
入学した坂巻展行監督ら新入生に、小枝監督が最初命じたのは野球の練習ではなく「グラウンドの石拾いと雑草抜き」でした。
新入生には「一人につきバケツ2杯分の石を拾い、雑草を10株抜く」という厳しい課題が課され、浅草の問屋街で買ってきたトンボを使って自分たちの手でゼロから土を整える日々が始まりました。
同校に入学した9人の同級生(のちにオリックスや横浜で活躍した小川博文氏ら)とともに、坂巻展行監督は汗と泥にまみれながらグラウンドを作り上げました。
小枝監督は「3年で甲子園に行く」と宣言し、その言葉を信じた坂巻展行監督らは過酷な環境の中で強い絆と雑草魂を育んでいったのです。
1984年春夏連続甲子園出場の活躍
雑草だらけのグラウンドを自らの手で整備することから始まった拓大紅陵での高校生活。
小枝守監督の熱血指導と選手たちの猛練習は、着実に実を結んでいきました。
そして入学時に掲げた「3年で甲子園に行く」という目標を有言実行する時が訪れます。
1984年、3年生となった坂巻展行監督は、個性の強いチームをまとめる主将としてナインを力強く牽引しました。
1984年春の第56回選抜高等学校野球大会(選抜甲子園)において、拓大紅陵は創部以来初となる甲子園出場を勝ち取ります。
自ら石を拾って作ったグラウンドから全国の晴れ舞台へと上り詰めた瞬間でした。
さらに勢いは止まらず、同年夏の第66回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)の千葉大会も勝ち抜き、見事に「春夏連続甲子園出場」という快挙を達成しました。
春の選抜大会では初戦で法政一高(東京)と対戦し、夏は初戦で智弁学園(奈良)を破って甲子園初勝利を挙げるなど、全国の強豪校を相手に堂々とした戦いぶりを見せました。
内野手として堅実な守備を見せるだけでなく、主将としてグラウンド内外で小枝監督の意図を正確にチームへ伝え、声を張り上げてナインを鼓舞し続けた坂巻展行監督の存在は、チームの精神的支柱となっていました。
創立間もない無名の新設校から、一気に全国にその名を知られる強豪校へと押し上げた1984年の春夏連続出場は、拓大紅陵野球部の歴史における大きな転換点となりました。
主将として偉業を達成したこの現役時代の経験と、小枝監督から叩き込まれた勝利への情熱やチームづくりの理念は、のちに坂巻展行監督が指導者として母校に戻ってきた際の大きな糧となっています。
指導者・坂巻展行の経歴
現役時代に主将として拓大紅陵を甲子園へと導いた坂巻展行監督は、高校卒業後も野球に関わり続け、指導者としての道を歩み始めました。
恩師である小枝守元監督のもとでコーチを務めた下積み時代から、2024年の監督就任、そして2026年夏の甲子園出場達成までの軌跡をたどります。
恩師・小枝守氏のもとで学んだ日々
日本大学を卒業後、坂巻展行監督は母校である拓大紅陵高校野球部へと戻り、恩師・小枝守監督のもとでコーチとしての歩みをスタートさせました。
1980年代から2010年代にかけて、拓大紅陵を千葉県内有数の強豪校、そして全国的な名門校へと育て上げた小枝監督の側で、坂巻展行監督は長年にわたり指導のノウハウと野球観を徹底的に学んでいきました。
小枝監督から学んだのは、単なる勝敗や技術の指導にとどまりません。
グラウンド整備や挨拶といった人間教育、選手の性格や特徴を見極めて信頼関係を築く対話力、そしてどんな状況でも情熱を持って選手に寄り添う指導姿勢――指揮官としての根幹となる哲学を吸収していきました。
拓大紅陵は1992年夏の甲子園で準優勝を果たすなど黄金期を築きましたが、2002年夏を最後に甲子園の舞台から遠ざかることになります。
2014年夏を最後に小枝監督が勇退し、2019年に71歳で亡くなりました。
その後も坂巻展行監督は恩師から受け継いだ「紅陵野球」の伝統を絶やすことなく、後任の監督たちを支えながらチームの再建と後進の育成に力を注ぎ続けたのです。
2024年の監督就任と甲子園出場
長年にわたりコーチや部長としてチームを支え続けてきた坂巻展行監督は、2024年、満を持して拓大紅陵高校野球部の監督に就任しました。
監督就任後、坂巻展行監督が真っ先に取り組んだのは、伝統の熱い指導を継承しつつ「生徒一人ひとりの長所を見つけて伸ばす」という自らの育成方針を浸透させることでした。
同年の秋季千葉県大会ではチームを準優勝に導き、千葉県内屈指の強豪校としての存在感を再び示しました。
そして迎えた2026年夏、第108回全国高等学校野球選手権千葉大会。
拓大紅陵は破竹の勢いでトーナメントを勝ち進みます。
決勝戦の相手は、春の選抜出場校・専大松戸。
試合は序盤リードを許す苦しい展開となりましたが、9回無死一・三塁から4番・片岡拓月選手の劇的な逆転3ラン本塁打が飛び出し、逆転勝利を収めました。
2002年以来、長きにわたり「あと一つ」の壁に涙を飲み続けてきた拓大紅陵にとって、実に24年ぶりとなる夏の甲子園出場達成でした。
優勝インタビューでは坂巻展行監督が感極まって大粒の涙。
「最終回、小枝先生が背中を押してくれました」と、亡き恩師への感謝を口にしました。
伝統の「大応援団」の後押しとともに“戦国千葉”を勝ち抜いたこの快挙こそ、指導者・坂巻展行監督の執念と恩師への思いが結実した瞬間だったのです。
拓大紅陵、専大松戸を破り優勝。
— 高校野球名将チャンネル (@general_basebal) July 26, 2026
「小枝守先生が、背中を押してくれました」
拓大紅陵・坂巻展行監督は、
優勝インタビューで涙を流した。
0―1の九回。
片岡拓月選手が逆転3ラン。
2002年以来、24年ぶりの夏の甲子園。#高校野球 pic.twitter.com/JUH4odXB4s
長所を伸ばす情熱的な指導方法
坂巻展行監督の指導方針は、恩師・小枝守元監督から受け継いだ伝統と、坂巻展行監督自身が大切にする「個性を活かす育成論」が見事に融合したものです。
拓大紅陵高校野球部において具体的にどのような野球指導や人間教育が行われているのか、そのアプローチを見ていきます。
生徒一人ひとりの長所を見つける
坂巻展行監督が指導にあたる上で最も大切にしている理念が、「生徒一人ひとりの長所を見つけること」です。
欠点や失敗を咎めて画一的な選手に当てはめるのではなく、選手各自が持つ潜在能力や独自の強み(打撃力、足の速さ、守備範囲の広さ、精神的な強さなど)を細かく観察し、それを最大限に伸ばすアプローチをとっています。
この指導スタイルの根底にあるのは、選手に対する温かい眼差しと深い信頼関係です。
例えば、試行錯誤の中でミスをして苦しむ選手に対しても頭ごなしに叱ることはせず、まずは挑戦した姿勢を評価し、強みを活かすための具体的なアドバイスを送ります。
2026年夏の千葉大会決勝で劇的な逆転3ラン本塁打を放った片岡拓月選手も、試合序盤はチャンスで一本が出ず「ベンチでも謝ってばかりだった」と明かしています。
しかし、坂巻展行監督は選手の可能性を信じて送り出し続け、土壇場での大活躍へと繋げました。
短所を矯正する以上に「自分の武器」を徹底的に磨かせる指導が、勝負強さを生み出しています。
恩師の教えを継承した情熱的指導
坂巻展行監督の指導のもう一つの柱は、亡き恩師・小枝守元監督から継承した熱い姿勢と、泥臭くノックを打ち続ける本気度です。
小枝元監督は「ノックの時にボールを見ないで選手を見る」と言われるほど、練習を通じて常に選手一人ひとりの表情や変化に目を配り、対話を重ね続けた指導者でした。
坂巻展行監督はその指導スタイルを深く敬愛し、監督就任後もグラウンドで誰よりも声を出し、選手たちと正面から向き合い続けています。
時に厳しく、時に寄り添う。
その姿は、選手たちに「この監督のために勝ちたい」と思わせる強い求心力となっています。
2026年夏、激闘を制した瞬間。坂巻展行監督の目からは涙が溢れ出しました。
インタビューでは「小枝先生が背中を押してくれました」と語り、長年「あと一つ」で涙を飲み続けてきた先輩たちの思いや、応援してくれるスタンドの大応援団・同窓会への感謝を真っ先に口にしました。
恩師の熱意を受け継ぎ、チーム全員で泥臭く努力を重ねる姿勢こそが、拓大紅陵を再び甲子園へと押し上げた最大の原動力です。
坂巻展行のまとめ
本記事では、拓大紅陵野球部を24年ぶりの甲子園出場へ導いた坂巻展行監督のプロフィール・現役時代の実績・指導方針を振り返りました。
・プロフィール・学歴:埼玉県草加市出身。1982年に小枝守監督を追って拓大紅陵へ進学し、その後日本大学へ進学。
・現役時代:1984年に主将(内野手)としてチームを牽引し、創部初となる「春夏連続甲子園出場」を達成。
・指導者としての歩み:母校のコーチとして恩師・小枝元監督のもとで長年指導の根幹を学び、2024年に監督就任。2026年夏に24年ぶりの甲子園復帰を果たす。
・指導方法:「生徒一人ひとりの長所を見つけること」を最優先とし、恩師譲りの熱い指導で選手の成長と可能性を信じ抜くスタイル。
2002年夏を最後に、長年「あと一つ」の壁に泣き続けてきた拓大紅陵。
名将・小枝守元監督の熱意と「雑草魂」を受け継いだ坂巻展行監督のもと、伝統の「大応援団」の後押しを受けて見事に復活を果たしました。
「小枝先生が背中を押してくれた」と語る坂巻展行監督と、泥臭く努力を重ねて掴み取った選手たちが、聖地・甲子園の舞台でどのような「紅陵野球」を見せてくれるのか、今後の活躍から目が離せません!

