JR西日本のドラフト候補・原田拓実選手。
社会人野球を代表する俊足の外野手です。
秀岳館高校時代には主力として活躍し、春夏連続で甲子園ベスト4に入っています。
社会人野球には日本生命にも原田拓実選手と言う同姓同名の選手がいますが、今回はJR西日本の原田拓実選手について調べて見ました。
プロフィール
名前:原田 拓実(はらだ たくみ)
生年月日:1998年7月8日
出身:佐賀県武雄市
身長:173cm
体重:72kg
投打:右投げ左打ち
ポジション:外野手
経歴:武雄市立朝日小学校→武雄市立武雄中学校→秀岳館高校→JR西日本
小中学時代
原田選手は小学1年生から「朝日少年野球」で軟式野球を始めました。
中学時代は軟式野球部に所属。
しかし、足が速すぎて陸上部やサッカー部に借り出されることが多く、部活動内で取り合いになることがありました。
高校時代
中学卒業後は、熊本県にある秀岳館高校に進学。
高校では入学当初はショートやセカンドを守っていましたが、秀岳館の鍛治舎巧監督が原田選手の俊足に目を付け、外野にコンバートします。
すると転向間もない1年秋の熊本県大会からセンターのレギュラーを獲得。
2年秋には2番・センターで熊本県大会優勝、九州大会優勝に果たします。
翌3年春のセンバツでは全4試合に2番・センターで出場。
15打数5安打1打点2盗塁の成績で、ベスト4入りに貢献しました。
3年夏の熊本県大会には1番センターとして臨み、25打数14安打7打点、打率.560、9盗塁の大活躍で15年ぶり優勝を達成!
続く甲子園では、初戦(2回戦)と3回戦は1番センターで出場。
しかし、2試合で8打数2安打と振るわなかったため、(と言うよりも2番打者だった松尾大河選手が、9打数5安打と絶好調だったため)準々決勝からは松尾選手と入れ替わる形で2番に降格。
準々決勝以降は7打数1安打ながらも、準々決勝の常総学院戦では勝負どころで二盗、三盗を決めるなどの活躍し、春夏連続となる甲子園ベスト4を達成しました。
高校の同期のチームメイトに九鬼隆平選手(現・福岡ソフトバンクホークス)、松尾大河選手(現・横浜DeNAベイスターズ)、天本昂佑選手(現・日本文理大)、有村大誠投手(現・立命館大学)らがいました。
高校卒業後は、JR西日本に入社し、主力として活躍を続けています。
プレースタイル
原田選手は俊足巧打の外野手です。
高校、社会人を通じて主に1、2番打者として試合に出場しています。
50m5秒8の俊足が一番の武器。
高校2年の12月に野球メーカーのゼットが来校して測定した30メートル走では、高校の野球部で全国1位のタイムを記録しました。
肩も強く遠投100m。
原田選手が中学生の時に離婚して以降、女手一つで育ててくれた母・尚子(ひさこ)さんによると性格は
「小学校、中学と常にリレーの代表で全員を抜き去ったあとスライディングしてゴールする、お調子者でした」
まとめ
原田選手の高校時代のプレーには、プロ入りした九鬼隆平選手や松尾大河選手と比べても遜色ないものがありました。
プロ入りを分けたのは単にポジションの違いでしかありません。
高校生だと九鬼選手や松尾選手のようなキャッチャーやショートはプロからの評価は高くなりがちで、外野だとよほど打たないとドラフトで指名されづらいです。
社会人で3年を過ごし成長した今ならば、プロ入りの可能性も高いと思われますね。