名門・法政大学のエースを任されている菅野秀哉投手。
福島県出身で、小高工業時代に完全試合を達成するなど、高校のころから注目されていたピッチャーです。
大学では、球速も150km/hを出せるようになり、2018年のドラフト上位候補に名前が挙がる選手に成長しています。
プロフィール

名前:菅野秀哉(かんの しゅうや)
生年月日:1996年7月8日
出身:福島県相馬市
身長:183cm
体重:73kg
投打:右投げ右打ち
血液型:B型
家族:両親と姉、兄
好きな野球選手:田中将大
好きな芸能人:宮崎あおい
経歴:桜丘小学校→中村一中学校→小高工業→法政大学→東京ガス
小中学時代
菅野投手は、小学3年生の時、地元の「桜ケ丘レッドイーグルス」で野球を始めました。
中学生の頃は、軟式野球部でプレー。
最初は、ショート兼ピッチャーでしたが、3年生から投手メインとなりました。
中3夏には県大会3位に入り、東北大会にも出場しています。
高校は、地元の小高工業に進学。
小高工業に進学した理由
菅野投手が中学2年だった2011年3月に、東日本大震災が発生しました。
小高工業は、その年の夏の福島大会でベスト4入りを果たしています。
原発事故により、練習場所も十分確保できないなど、厳しい環境を乗り越えての躍進でした。
菅野投手は、その姿を見て、
「小高工のユニホームで甲子園に行きたい」
小高工業への進学を決意したそうです。
菅野投手が入学してからも、厳しい練習環境は続きました。
小高工業は、原発事故の影響で避難指示解除準備区域内となっていて、授業は仮設校舎で行われ、練習も近くの市営球場を借りて行っていました。
そのため、グラウンドでの練習は週4日で、時間も3時間に限られており、週末は使えないことも多くありました。
そんな環境の中、菅野投手は1年春からショートとしてベンチ入りを果たします。
1年夏から本格的にピッチャーとしてプレーし、2年春の県大会からはエースに抜擢され、県3位に入り、東北大会に出場しました。
東北大会では、初戦で盛岡大付に7回コールドで敗れています。
2年夏の県大会も準決勝まで勝ち上がるものの、強豪・聖光学院に敗退。
「苦難上等」
のチームスローガンを掲げて挑んだ最後の夏は、4回戦で昨年と同じ聖光学院に敗れて、甲子園出場はなりませんでした。
聖光学院が高い壁となってしまいましたね。
聖光学院は、2017年現在で11年連続甲子園出場中ですし、菅野投手がどんなにいいピッチャーでも、相手が悪かった気がします。
完全試合
菅野投手は、3年夏の福島県大会の2回戦・福島高専で完全試合を達成しています。
これは、福島県大会で史上初の快挙でした。
試合後のインタビューで
「僕らの活躍が被災地の人の励みになればうれしい」
とかっこいいことを言っています。
菅野投手は、高校時代から143km/hを投げる投手として、複数のプロ野球チームから注目されていました。
しかし、志望届は提出せずに法政大学へ進学します。
大学時代
大学では1年春からリーグ戦に出場しています。
3年生からは、エースとしてチームを引っ張り、3年春のシーズンは、防御率1.39で最優秀防御率賞を獲得。
3年秋のシーズンには、5勝を上げ最多勝を獲得しました。
まとめ
東京六大学を代表すうる投手になるまで成長した菅野秀哉投手。
ぜひ、大学卒業の時には志望届を提出して、プロへ進んでほしいです。
菅野投手のプロでの活躍が被災した人たちの励みなるはず!
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