大分の高校野球の強豪・明豊高校。
明豊高校は大分県の別府市にある中間一貫校の私立の学校です。
校歌がさだまさしさん作曲であることでも有名ですね。
2019年のセンバツでは横浜高校、札幌大谷、龍谷大平安の強豪校に次々と勝利し、ベスト4入りしています。
その明豊高校を率いるのが川崎絢平監督です。
まだ37歳と若い監督で、高校時代には名門・智辯和歌山で3年連続甲子園出場を果たしています!
1年生の夏には日本一も経験しました。
現役時代に智辯和歌山で活躍していただけあり、川崎監督の采配や指導方法には智辯和歌山の教えが色濃く表れているようです。
今回は、そんな川崎絢平監督の経歴や指導方法についてまとめてみました。
川崎絢平のプロフィール
名前:川崎 絢平(かわさき じゅんぺい)
生年月日:1982年2月12日
出身:和歌山県
経歴:智辯和歌山高校→立命館大学→和歌山箕島球友会
川崎絢平の現役時代
現役時代のポジションはショートでした。
智辯和歌山で1年夏からベンチ入りを果たし、3年連続甲子園出場。
1年夏(1997年)には全国制覇を経験しています。
当時3年生でキャプテンだったのが、現在、智辯和歌山の監督を務める中谷仁さんでした。
2年生の夏(1998年)は、松坂大輔投手のいる横浜高校が優勝して大いに盛り上がった年でしたが、ベスト16に入っていています。
高校3年夏(1999年)はベスト4という成績でした。
高校卒業後は、立命館大学に進学して野球を続けました。
大学卒業後は、スーパー「マツゲン」に社員として入社し、社会人クラブチームの和歌山箕島球友会でプレー。
川崎絢平の指導者時代
現役引退後は、実家が海南市内で当時3店舗経営していたローソンの店長へ転身。
2008年からは母校・智辯和歌山高校の高嶋仁監督のもとでコーチをしながら、指導法を学びました。
そして、2011年5月から明豊高校野球部部長を務めたあと、2012年に30歳という若さで明豊高校野球部の監督に就任しました。
監督として、2015年夏と2017年夏、2019年のセンバツで甲子園に出場しています。
川崎絢平の指導方針
監督に就任してすぐの頃は、自身が守備の名手だったこともあり、“守り優先”の野球スタイルでした。
しかし、監督として初めて出場した2015年の夏の甲子園・1回戦で、仙台育英高校に1-12と惨敗してからは、守りだけではダメだと考え、筋力トレーニングや打撃練習にも力を入れるようになります。
母校の智辯和歌山といえば、“打ち勝つ野球”で有名ですからね。
また、川崎監督の智辯和歌山イズムは選手選びにも表れていて、同じ実力を持った選手同士のどちらかを選ぶのに迷ったら、下級生を優先して起用しています。
これは、毎年結果を残すためには、次の年の選手を育てることが必要になってくるからだそうです。
実際に、2019年センバツのベンチ入りメンバー18人のうち8人が2年生です。
このようなことを繰り返していくうちに明豊も智辯和歌山のような常勝チームへと成長していくのでしょうね。
川崎絢平の結婚は?
イケメンだからでしょうか?
結婚しているのか、気になっている人が多いようですね。
調べましたが、結婚しているのかわかりませんでした。
※追記 家族は夫人と1男1女だそうです。
川崎絢平のまとめ
これからも川崎監督率いる明豊高校には注目ですね。
そのうち甲子園で、先輩である中谷仁監督のいる智辯和歌山との対決も見てみた気がします。
よろしければこちらもどうぞ↓
中谷仁監督(智辯和歌山)阪神でプレーも携帯で失明?嫁や子供は?