第97回全国高校サッカー選手権大会において、2年ぶり2度目の優勝を果たした青森山田高校。
今年の青森山田には、檀崎竜孔選手や三國ケネディエブス選手など、Jリーグ入り内定の選手がいました。
しかし、それらの選手がいながらも、青森山田の黒田剛監督が
「あいつがいなかったら優勝できなかったかもしれない」
と言いう選手がいます。
それがボランチの天笠泰輝選手です。
プロフィール
名前:天笠 泰輝(あまがさ たいき)
生年月日:2000年5月11日
出身:群馬県
身長:176cm
体重:68kg
ポジション:MF
利き足:左
家族:父、母、姉
経歴:太田南FC→前橋FCジュニアユース→青森山田高校→関西大学
父からの教え
父・太さんは学生時代、競輪の選手を目指しておられました。
その父から、
「練習環境・競争相手・指導者」
の3つを大切にするように育てられたそうです。
また
「どのスポーツでも走ることは基本」
との父の考えから、小学1年生の時から陸上競技に取り組んでいて、群馬県内で開催されるジュニアのマラソン大会や駅伝に出場し、好成績を残しています。
小中学生時代
地元のサッカークラブでサッカーを始めました。
小学5年生からは
「より強いチームで大きな大会を経験してみたい」
と、全国大会優勝の実績のある『太田南FC』に移籍してプレーしています。
中学時代は『前橋FCジュニアユース』でプレー。
この頃から頭角を現し、高校進学の際には鹿島アントラーズユースをはじめ、大宮アルディージャユース、地元の強豪・前橋育英、長崎総合科学大附属など、多くのチームから声をかけられていました。
青森山田高校
多くのチームからスカウトを受けながらも、悩んだ末、声をかけられていなかった青森山田高校へ進学しています。
父・太さんによると、柴崎岳選手(青森山田出身)の影響があったのではないかと言います。
子供の頃からよく柴崎選手を見て
「俺も青森山田でサッカーをやるんだ!」
と言っていたそうです。
部員数160名を超える青森山田高校サッカー部にあって、天笠選手は1年生の夏からインターハイに出場。
立正大淞南戦では2得点をマークするなど、ベスト4入りに貢献しました。
優勝した1年の高校サッカー選手権でも、出場機会はありませんでしたが、決勝のベンチ入りを果たしています。
高校2年生でケガ
ここまでは順調だった天笠選手でしたが、2年生の時にはケガに苦しみました。
4月に右足首を負傷し、2カ月の離脱。
6月に復帰を果たしますが、今度は7月に右膝の内側側副靭帯を伸ばしてしまい、そこから4カ月離脱を強いられます。
天笠選手は
「このまま終わってしまうんじゃないか」
と落ち込んだそうです。
そんな時に支えになってくれたのが、寮で同部屋だった郷家友太選手(現・ヴィッセル神戸)でした。
「郷家さんは本当にいろんな話を聞いてくれたし、その度に励ましてくれた。辛くて郷家さんの前で号泣した事もありましたが、本当にいつも優しく接してくれた。
『お前ならできる』とずっと言い続けてくれたことが、本当に折れそうな心を支えてくれた」
と、当時のことを話されています。
郷家選手の支えもあり、高校3年生で本来の輝きを取り戻します。
高校最後の高校サッカー選手権では、2年ぶりの優勝に貢献。
Jリーグ内定の檀崎竜孔選手や三國ケネディエブス選手のような選手に比べると注目度は劣りましたが、黒子としての天笠選手の活躍はすばらしく、「影のMVP」と呼ばれていました。
進路は関西大学!
高校卒業後は、関西大学に進学予定です。
「大学4年間で誰よりも努力して、大学ナンバーワンボランチになってプロになるという目標を達成してから、世界で認められるサッカー選手になるという夢に向かいたい」
とコメントされています。
プロが認める実力
青森山田の1学年先輩の郷家選手は、天笠選手について
「泰輝は他人想いの優しい性格で、本当に可愛い奴なんですが、サッカー選手としてもずば抜けたセンスを持っている選手で、僕の中で『一番プロに近い存在』だと思っていた」
とコメントされています。
また、高校3年の高校サッカー選手権の決勝戦後には、西大伍選手(現・ヴィッセル神戸)が、天笠が関西大学に進学する事を知り、Twitterで
「え、青森山田の天笠くんどこも取らないの」
とツイートし、大きな話題を呼んでいました。
まとめ
天笠選手は今から、4年後のプロ入りが楽しみな選手です。
将来は、同級生の檀崎選手や三國ケネディエブス選手、先輩の郷家選手、憧れの柴崎選手とも代表で一緒にプレーすることもあるのではないでしょうか!
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