法政大学野球部・青木久典監督が部員に暴力をふるったとする告発文書が、法政大学と日本学生野球協会に届いていたことが2019年1月29日に判明しました!
今年に入ってから野球界での暴力事件の発覚が本当に多いですね。
高校野球でも、選抜出場校の春日部共栄の本多利治監督、松山聖陵の荷川取秀明監督が部員に体罰を振るったことが発覚して問題になっています。
法政大学といえば、昨年秋にリーグ最多タイとなる45回目の優勝を遂げています。
しかし、その一方、昨年の11月にも元プロ野球選手の真木将樹助監督が、部員への暴力事件を起こしていたことが外部からの通報で発覚し、4カ月の謹慎処分を受けている最中です。
監督と助監督の両方が暴力を振るっていたとなると、野球部内では暴力が常態化していたのかもしれませんね。
法政大学には早急の調査と改善が求められます。
ここで対応を誤ると昨年の日大アメフト部のような事態になりかねません!
監督のプロフィール
名前:青木 久典(あおき ひさのり)
生年月日:1973年2月16日
出身:三重県
経歴:三重高校→法政大学→北海道拓殖銀行→ホンダ鈴鹿→サンワード貿易→富士大学→法政大学
現役時代
高校時代は、三重高校でプレーしていました。
ポジションはショートで、高校3年生の時には主将を務め、春のセンバツ大会に出場。
ベスト8という成績を収めています。
高校卒業後は法政大学文学部史学科に進学。
4年時に副将を務めました。
大学の同期には、日本代表監督の稲葉篤紀さんがいます。
大学卒業後は北海道拓殖銀行の野球部でプレー。
1996年に野球部が休部となり、本田技研鈴鹿へ転籍しました。
ここで2年プレーした後、1999年に再び北海道にあるサンワード貿易に移籍。
サンワード貿易野球部では中心選手として活躍し、都市対抗野球大会に4年連続出場、日本選手権大会に3度出場しています。
2004年に現役を引退しました。
指導者としての経歴
2005年に富士大学野球部コーチに就任。
2008年秋には監督代行として、北東北大学野球リーグ優勝。
2009年からは正式に監督に就任し、春季リーグ戦で10戦全勝で優勝。
監督期間(監督代行含む)11シーズンで、
・リーグ優勝5回。
・全日本大学野球選手権大会 準優勝1回、ベスト8を2回。
・明治神宮野球大会ベスト4を1回。
と素晴らしい成績を残しています。
富士大学時代の教え子には西武・山川穂高選手、多和田真三郎投手らがいました。
近年はプロ野球選手も多く輩出し、強豪校の仲間入りを果たした富士大学ですが、その礎をつくったのが青木監督だと言われています。
その後、2014年1月より母校・法政大学野球部の助監督に就任。
2015年1月より監督に就任しています。
スカウティング
チームの強化手段として、スカウティングに力を入れている監督です。
富士大学時代の教え子・山川穂高選は、沖縄に凄いバッターがいると聞き、わざわざ沖縄まで行ってスカウトを行いました。
現在の法政大学にも、三浦銀二投手や、山下輝投手、古屋敷匠真投手、平元銀次郎投手など、プロ注目の選手が多くいますが、いずれも青木監督自らスカウトしてきた選手ばかりです。
暴力は法政大学の伝統!?
法政大学のOBに、元プロ野球選手の江本孟紀さんがいます。
江本さんは自らの著書で、法政大学時代に理不尽な体罰などで苦労されたとことが書かれていました。
「法政野球部時代には、上級生から理不尽なイジメに遭っており、監督は、それを知っていながら、見て見ぬフリをするだけで、自分は非常に腹が立つ事が多々有った」
とあります。
その他にも、OBの江川卓さんについて書かれた本で
「下級生時代には、壮絶かつ理不尽なイジメに遭い、集団で脱走する一歩手前まで行ったが、『もう少し、みんなで辛抱してみよう』と言って、脱走を思い留まった」
というのもあります。
今回の事件が発覚するまで、このようなことは昭和時代の出来事と思っていました。
もしかしたら、野球部の悪しき伝統として残っていたのかもしれませんね。
まとめ
法政大学に限らず、依然として野球界、そして日本スポーツ界に暴力の問題が付きまとっています。
このような出来事は、平成とともに終わりにしてもらいたいものですね。