甲子園最多の通算68勝を挙げ、春夏3度の優勝を果たした智辯和歌山の高嶋仁氏が、2018年8月で監督を退任されました。
その後を受け、監督に就任したのが中谷仁監督です。
中谷監督は、1997年のドラフトで阪神へ1位入団した、元プロ野球選手です。
キャッチャーとして阪神、楽天、巨人で合計15年間プレーしています。
ただ、現役時代は不幸な事故もあり、第一線で活躍し続けたとは言いにくい成績でした。
今回は、中谷新監督の現役時代や、選手生命に関わった事故、家族について調べてみました。
中谷仁のプロフィール
名前:中谷 仁(なかたに じん)
生年月日:1979年5月5日
出身:和歌山県和歌山市
身長:183cm
体重:95kg
投打:右投げ右打ち
経歴:和歌山市立有功中学校→智辯学園和歌山高等学校→阪神タイガース→東北楽天ゴールデンイーグルス→読売ジャイアンツ
中谷仁の学生時代
小学生の時、地元の少年野球チーム『有功少年野球クラブ』で野球を始めました。
高校は地元の強豪・智辯学園和歌山に進学。
在学中は甲子園に3度も出場しています。
特に3年生の時には主将を務め、夏の甲子園で優勝!
日本一を達成しています。
高校生の頃から、リーダーシップがすごかったみたいです。
当時の智辯学園和歌山の理事長から
「高嶋先生の後の監督はおまえだ」
と何度も言われていたそうです。
高校生で次期監督に指名されるなんてびっくりですね!
そして、それが20年も後になって本当に実現してしまうなんて、さらにびっくりです!
中谷仁の失明寸前の携帯電話事件
超高校級の強肩強打のキャッチャーとして高く評価され、1997年のドラフトで阪神タイガースからドラフト1位指名を受けて入団しました。
しかし、プロの水にも慣れ、さぁこれから!というプロ入り2年目に、野球生命を揺るがす事故に遭ってしまいます。
なんと、チームメイトから左目に携帯電話をぶつけられ、失明寸前にまでなってしまいました。
理由は“チーム内のいじめ”という見方が有力です。
これにより、視力が極端に落ち、1年以上もの間、ボールを使った練習が出来ませんでした。
懸命なリハビリによって、事故から3年、なんとか本格的な練習ができるまでに視力が回復しましたが、事故後は打撃や捕手としてのパフォーマンスを大きく落としています。
やはり目というのは野球選手にとって重要な箇所ですからね。
この事故?事件?がなければ、阪神はキャッチャーに10年は困らなかっただろうと言われています。
その後、2005年のオフに楽天にトレード。
移籍4年目の2009年には、自己最多の55試合に出場しましたが、2011年オフに戦力外を言い渡されてしました。
12球団合同トライアウトを経て、巨人で1年プレーした後、2012年に現役を引退されています。
中谷仁の引退後
引退後は、巨人のブルペン捕手や、手塚一志さんが経営する野球教室のスタッフとして働いていました。
そして、2017年から職員として智辯学園和歌山に復帰。
野球部のコーチを経て、2018年8月24日に高嶋監督の後を受け、監督に就任しました。
中谷仁の家族
楽天時代の2009年に結婚されています。
奥さんの名前は陽子さんで、中谷監督より一つ年上です。
お子さんがいるかどうかは調べてみましたが、わかりませんでした。
中谷仁のまとめ
最近では、高校野球でも元プロ野球選手の監督というのが増えてきました。
それでも、平成以降で甲子園で優勝した元プロ野球の監督はまだいません。
中谷監督が、元プロ野球選手初の甲子園優勝監督になる可能性は高いと思います。
現役時代は不幸な事故もあり、本来の実力ほどは活躍できませんでした。
監督としての第二の野球人生は活躍できるといいですね。