陸上

梶谷瑠哉(青山学院大)進路はSUBARU!彼女や身長は?父親が凄い!

青山学院大学4年生・梶谷瑠哉選手

162cmと小柄ながら、スピード、スタミナともに抜群のランナーです。

箱根駅伝には2年連続で出場中。

3年連続出場もほぼ確実です。

今回はそんな梶谷選手について調べてみました。

プロフィール


名前:梶谷 瑠哉(かじた りゅうや)
生年月日:1996年7月15日
出身:栃木県日光市
身長:162cm
体重:49kg
経歴:日光市立大室小学校→日光市立今市中学校→白鴎大足利高校→青山学院大学

梶谷選手がいつから陸上を始めたかは不明ですが、中学2年生の時には「第19回関東中学校駅伝競走大会」に出場し、2区9分5秒で走って区間10位という成績を残しています。

白鴎大学足利高校

高校は白鴎大学足利高校に進学。

この学校は偏差値63の進学校です。

スポーツにも力を入れていて、野球部が甲子園にも出場しているほか、駅伝でも全国大会に出場したことがあります。

梶谷選手がいた時にも、1年生の時に全国高校駅伝大会に出場。

しかしその頃、梶谷選手はまだ補欠でした。

2年、3年生の時はチームが予選で敗れたために、結局、梶谷選手は高校3年間通して全国高校駅伝大会には出場できずに終わっています。

それでも個人は、2年と3年の時に、栃木県代表として全国都道府県対抗男子駅伝競走大会に出場。

いずれも1区7kmを走り、2年生のときが20分26秒15位、3年生では20分59秒26位という記録を残しています。

おそらく、その時の走りを見た青山学院大学の原晋監督
「良い顔つきをしている」
と声をかけたことがきっかけで、高校卒業後は青山学院大学・教育人間科学部教育学科に進学しました。

大学での成績

箱根駅伝には2年生の時に初出場

1区を走り、区間4位の成績で優勝に貢献しました。

3年生時は主力として、大学3大駅伝すべてに出場しています。

出雲駅伝は、1区を走り、区間8位。(チームは3位)
全日本大学駅伝は、3区を走り、区間4位。(チームは2位)
箱根駅伝は、4区を走り、区間9位。(チームは優勝)

4年生出雲駅伝は、欠場。(チームは優勝)
全日本大学駅伝8区を走り、区間3位でした。(チームは優勝)

ラーメン大好き

梶谷選手の大好物はラーメンです。

大学3年生までは昼食時に週3回食べていました。

しかし、これはさすがに食べ過ぎだったみたいで、
原監督から
「ラーメンを食べるな、とは言わない。ただ、頻度の問題。週3回は多すぎる」
と注意され、以後、週1回に抑えているそうです。

父親

梶谷瑠哉選手の父親は、大室たかお神社「氏子総代」をされています。

この「氏子総代」というのは、氏子の間から選ばれた代表で、神職と協力して、神社の維持にあたります

正確には「氏子総代」は職業ではなく、いわゆる町内会長のようなものなので、特に収入はないのが普通だそうです。

しかし、誰でもなれるものではありませんので、重要な仕事であることには変わりありません。

しかも「大室たかお神社」は、源義家が鬼怒川洪水の際に減水を祈ったのが始まりといわれている、由緒正しい長い歴史を持つ神社です。

きっと梶谷選手の父親は人間的にもすばらしく、氏子の間でも信頼の厚い人物なのでしょうね。

彼女

梶谷選手の彼女についてですが、大学2年生の時に、箱根駅伝で優勝した翌日に日本テレビの『PON!』という番組に出演をした際、彼女がいることを認めていました

2年前の情報なので、まだその彼女続いているかはわかりませんが、当時はいたということですね。

進路

大学卒業後、SUBARUで競技を続けることが内定しています。

青山学院大学を卒業し、実業団に進んだ選手は、なかなか結果を出せずに苦労することが多いと言われています。

理由としては、
・大学時代、駅伝に重きをおいているので、トラックの練習が足りないから、トラック競技で成績が残せない。
・ロードの練習も駅伝の距離に合わせているので、マラソンでも成績が残せない。
だとか。

梶谷選手も大学卒業後は、トラック競技マラソかのどちらかを選択することを迫られると思います。

梶谷選手の場合、まだフルマラソンの経験はありませんが、ハーフマラソンでは大学4年時「日本学生ハーフマラソン選手権大会」優勝していますので、どちらかというとマラソンの方が向いている気がしますね。

どちらを選んだとしても、大学時代と同じように活躍を続けてほしいですね!