今年、独立リーグのBCリーグで、もっともNPBに近い選手と言われているのが、武蔵ヒートベアーズの安河内駿介投手です。
大学卒業時に一度は野球を辞めることを決意しながら、2年の浪人期間を経て、今年から独立リーグでプレーしています。
安河内投手を紹介するのに最適な文章は、今年の7/20に本人がツイッターに挙げた一文
「俺より凄いピッチャーは日本のアマチュア、独立リーグに沢山いる。
だけど2年間無所属、5年ぶりの試合で150キロ超、俺以上に色んな道を通ってきた「華」のある選手いる?いないね。魅力も話題性も俺がドラフト候補No.1でしょ」
目立ちたがり屋?
ビッグマウス?
この発言の本意については、後ほどご紹介します。
名前:安河内 駿介(やすこうち しゅんすけ)
生年月日:1994年3月6日
出身:福岡県福岡市
身長:174cm
体重:77kg
投打:右投げ両打ち
ポジション:ピッチャー
経歴:福岡市立香椎浜小学校→福岡市立城香中学校→秀岳館高校→東京国際大学→武蔵ヒートベアーズ
安河内投手は、小学4年生から野球を始めました。
中学時代は「福岡ニュースターズ」でプレーしています。
○秀岳館
高校は熊本県にある秀岳館高校に進学します。
安河内投手が入学したのは2009年ですので、2014年に秀岳館の監督に就任した鍛治舎巧さんからは指導を受けていませんね。
高校では3年間、控え投手でした。
3年夏の熊本県大会では、準決勝・専大玉名戦に、4対2とリードした8回1死満塁に3番手で登板しています。
しかし、エラーがらみで満塁の走者を一掃されて、4対5で逆転負け。
甲子園出場は叶いませんでした。
○東京国際大
高校卒業後は東京国際大学に進学します。
1年春からリーグ戦に出場しました。
2年秋のリーグ戦で先発1番手の座を掴むと、4勝1敗、防御率1.60の好成績を残しています。
しかしその後は、右ヒジ靭帯を痛め、右ヒジが治ったかと思ったら、続けて右肩を痛め、3年春以降は登板無く終えました。
○独立リーグへ
4年春のリーグ戦を終えた時点で、復帰のメドが立たなかったため、一度は野球を辞める決意をしています。
しかし、高校時代からお世話になっていた整骨院に、野球を辞める報告を行った“ついでに”治療をしてもらうと、
「肩の関節がズレている」
と告げられました。
施術によって肩をはめ直したところ、腕が肩まで上がるようになり、復帰の可能性が出てきため、野球を続けることを決意します。
すでに内定をもらっていた会社に断りをいれ、世田谷学園の嘱託職員などをしながらトレーニングを続けました。
浪人1年目のプロテスト受験には失敗。
浪人2年目に、BCリーグの武蔵ヒートベアーズのトライアウトに合格し、入団しました。
○5年ぶり登板で150km/h
5年ぶりの登板となった、BCリーグでの初戦。
リリーフとして上がったマウンドで、いきなり自己最速の150km/hを計測しています。
大学時代の最速が146km/hでしたので、一気に4km/hものアップでした。
その後も、リーグ戦でリリーフとして投げ続け、ストレートの最速も151km/hを出すまでになっています。
成績は、38試合38回、防御率2.37、1勝0敗6S(9月13日時点)
○プレースタイル
174cmとそれほど背が高くありませんが、最速151km/hのストレートを投げる本格派ピッチャーです。
変化球はスライダー、カットボール、カーブ、シンカーなど。
遠投110メートル、50m走5秒9を記録しています。
○発言の真意は?
ここで冒頭に紹介したツイッターの文章について。
実はこのツイッターを書かれた時、チームが13連敗中で、観客も常連の人ぐらいしか来ない状態でした。
「このままではチームがなくなるんではないか?」
と危機感を抱いた安河内投手が、“何か話題を作ろう”として思いついたのが、自身の珍しい球歴をネタにすることでした。
批判を浴びることを覚悟していたそうですが、否定的な反応は少なく、結果、球場を訪れるファンの数も増えたそうです。
最初にこのツイッターのことを知った時は、自己中心的な人物かと思いましたが、実際は正反対の、チームのために何ができるか考えて行動できる人だったみたいですね。
その他にも安河内投手は、ファンを増やすために自費制作でTシャツを作って売る、なんてことしています。
プロに入ったら、ファンを大切にする人気選手になってくれそうですね。
○まとめ
ドラフトに向けて、現状、具体的な球団の評価は聞こえてきません。
ただ、どの球団も資質は評価しいてる、そう。
果たして指名はあるでしょうか?
リリーフ専門の選手ですので、リリーフが手薄な球団が指名しそうですね。