第100回大会の甲子園では、惜しくも準優勝に終わった秋田・金足農業。
勝ったのは大阪桐蔭かも知れませんが、この夏一番、感動を与えてくれたのは金足農業だったような気がします。
その金足農業の4番を打っていたのが、打川和輝選手です。
打川選手は、これまで何度も勝負強いバッティングでチームの勝利に貢献してきました。
また、決勝では、降板した吉田輝星投手の後を受けて、甲子園のマウンドにも上がっています。
名前:打川和輝(うちかわ かずき)
出身:秋田県
身長:185cm
体重:90kg
投打:右投げ右打ち
目標の選手:中田翔(日本ハム)
経歴:秋田市立泉中学校→金足農業
○中学時代
中学時代は、軟式野球部でピッチャーをやっていた打川選手。
秋田県の軟式野球界では名の知られた投手でした。
中学3年の夏で部活は終わりましたが、その後、高校入学前に硬式野球に慣れておこうと「秋田北シニア」に入団しています。
その「秋田北シニア」には、エースの吉田投手をはじめ、1番打者の菅原天空選手など、現・金足農業の中心メンバーがそろっていました。
吉田投手のお父さんは金足農業のOBで、菅原選手のお父さんも金足農業のOBで現コーチを務めています。
そんなこともあり、吉田投手と菅原選手が中心となって
「みんなで金足農に行かない?」
と仲間に声をかけていました。
打川選手は、最初は別の強豪校への進学を考えていたと言います。
また、中学時代からすごかった吉田投手を見て、
「(吉田くんと)同じ学校に入れば、自分は絶対にエースにはなれない」
と悟っていました。
しかし、それでも
「あいつと一緒に野球がやりたい」
とピッチャーへの道を諦め、金足農業への進学を決意したそうです。
高校ではピッチャーをあきらめた打川選手。
まさか、自分が甲子園の決勝のマウンドに上がるなんて、想像してなかったでしょうね。
○高校時代
サードに転向すると、4番を任されるまでのバッターとして成長します。
3年夏の秋田県大会では、18打数7安打5打点をマークし、優勝に貢献しました。
金足農業は甲子園でも、吉田投手を中心に一丸となって勝ち進みます。
しかし、迎えた大阪桐蔭との決勝で、その夏一人で投げ続けてきた吉田投手に限界が訪れました。
そのチームのピンチに、打川選手は6回からリリーフ登板すると、強打の大阪桐蔭相手に3回を3安打3奪三振1失点という好投をみせます。
打川選手がストライク取るたびに、ライトに回った吉田投手が拍手を送るのが印象的でした!
○プレースタイル
長打力と器用さを兼ね備えたバッターです。
とても勝負強く、3年夏の秋田県大会では、チームトップの5打点をマークしました。
ピッチャーとしては、最速138km/hのストレートに加え、スライダー、カーブ、チェンジアップなどの変化球を投げます。
それから、プレースタイルとは違いますが、サッカーも好きで、リフティングの最高記録は30回ほどだそうです。
○まとめ
中学3年生でピッチャーを諦め、仲間との野球を選択した打川選手。
その決断は間違っていませんでしたね。
第100回大会での金足農業の戦いぶりは、2007年の佐賀北高校の「がばい旋風」や、早稲田実業の斎藤佑樹投手と駒大苫小牧の田中将大投手との引き分け再試合などと同じように、人々の記憶に残っていくことだろうと思います。