野球

寺田光輝(横浜DeNA)の実家は伊勢神宮?イケメンの彼女や高校大学も!

横浜DeNAのルーキー・寺田光輝投手。

ルーキーと言っても、現在26歳(2018/03/11時点)で、2017年に指名された選手の中では最年長選手です。

これまで、大学中退や浪人、指名漏れを経験している、苦労人のプロ野球選手なんです。

※追記
寺田投手は残念ながら、プロでは活躍することができず、2019年で退団されてしまいました。

今後は医者を目指して、再び大学進学を目指すそうです。
まだ、若いですし、第二の人生でのご活躍を祈りたいと思います。

プロフィール

名前:寺田光輝(てらだ こうき)
生年月日:1992年1月5日
出身:三重県伊勢市
身長:175cm
体重:73kg
投打:右投げ右打ち
ポジション:ピッチャー
背番号:54
年棒:600万円(2018年)
契約金:2500万円
経歴:伊勢市立厚生小学校→伊勢市立厚生中学校→三重県立伊勢高等学校→三重大学(中退)→筑波大学→石川ミリオンスターズ

実家

寺田投手の実家は、なんと!
伊勢神宮の真ん前にあるそうです!!

お店をしているとか、それ以上の情報はないんですが、伊勢神宮の真ん中ってどういうことなんでしょうか?!お父さんは神主さん?!

※追記
寺田選手の実家はお医者さんでした。


実家の「寺田クリニック」で父は内科、胃腸科の医師をしている。父方の祖父と伯父は産婦人科医(寺田産婦人科)、父のいとこは外科医(寺田外科)で、弟も現在は研修医だ。

YAHOO!ニュース

小中学時代

寺田投手は、小学3年生から「厚生イーグルス」で野球を始めました。

中学では、学校の軟式野球部に所属。

中学時代には右ヒジを故障して、手術を受けた経験があります。

高校時代

高校は、地元の三重県立伊勢高校に進学。

伊勢高校は、偏差値66の進学校です。

卒業生には、タレント兼フリーアナウンサーの楠田枝里子さんがいます。

ちなみ楠田さんは、寺田投手と同じ厚生中学校の卒業生でもあります。

中学時代に右ヒジを故障して、手術を受けていた寺田投手は、高校ではリハビリスタート

コントロールに不安があり、特別注目されるような投手ではありませんでした。

高校3年時には、エース番号を背負いますが、その理由も
「本当のエースが故障したため」
でした。

高校3年の夏の三重県大会では、4回戦で関啓扶投手(元中日)擁する菰野高校と対戦。

寺田投手は、四球を連発し自滅によってコールド負けを喫してしまいます。

現役で国立大学に進学するも中退

高校卒業後、地元の国立三重大学に進学。

しかし、野球部に所属するも、練習に物足りなさを感じ、2ヶ月で休学。

そこから2年の浪人生活を経て、筑波大学へ進学します。

浪人時代には、アルバイトで回転すし店「スシロー」のネタの解凍とか仕込みの仕事をして学費を稼ぎました。

筑波大学では野球部に入るも
「4年まではずっとスタンドで太鼓を叩いていた」
と、完全に補欠

大学4年時からリリーフとして登板するも、目立った活躍はできず、とてもプロなど考えられるような投手ではありませんでした。

大学卒業時には、地元企業から内定をもらい就職を考えていました。

しかし、筑波大時代の野球部の奈良隆章コーチが
「野球を諦めるのはまだ早い。挑戦してみろ」
と独立リーグで野球を続ける事を勧めます。

寺田投手は、「これほど悩んだことはない」というほど考えた末、石川ミリオンスターズに入団を決意しました。

独立リーグ時代

石川ミリオンスターズでは、1年目から抑えとして、リーグ戦に出場。

40試合3勝1敗19セーブ防御率1.11と好成績を収め、前期のMVPも獲得しています。

その年のドラフトでは、複数のプロ野球球団から注目され、「指名確実」と言われていましたが、結果はまさかの指名漏れとなってしまいました。

2年目のシーズンでも抑えとしてプレー。

41回で18四死球、防御率2.41と前年に比べてやや成績を落としますが、2017年のドラフト会議では、横浜DeNAベイスターズから6位で指名を受けています。

この年は、石川ミリオンスターズからは、寺田投手の他にも、寺岡寛治投手、沼田拓巳投手がそれぞれ、楽天ヤクルトから指名を受けました。

沼田投手については→沼田拓巳(ヤクルト)彼女は?成績や中学高校!

プレースタイル

スリークォーターとサイドスローの間という変則的な腕の位置から、最速146km/hのストレートを投げます。

スライダー、カットボール、ツーシームといった変化球でも、カウントを稼ぐことが出来、安定感、奪三振能力に優れています。

彼女は?

イケメンですからね。

情報はありませんでしたが、きっといることでしょう(笑)

独立リーグ選手は厳しい状況だけに、そんな時期を支えてくれる彼女がいたとしたら素敵ですね。

例えいなかったとしても、プロで活躍すれば周りが放っておかないことでしょう。

まとめ

1年目の春のキャンプでは、3000メートル走で2周遅れの最下位になるなど体力不足が露呈しました。

しかし、これまでもいくつもの苦難を乗り越えてきた寺田投手のことです。
きっとすぐにプロの練習にも慣れ、1軍に上がってくるはず!