DeNA・2016年ドラフト4位の京山将弥投手。
高校時代には、「滋賀県の最高傑作」とまで言われたピッチャーです。
将来のローテ候補として、2年目の飛躍が期待されます。

名前:京山将弥(きょうやま まさや)
生年月日:1998年7月4日
出身:滋賀県大津市
身長:182cm
体重:75kg
投打:右投げ右打ち
ポジション:ピッチャー
背番号:48
年俸:560万円
経歴:大津市立晴嵐小学校→大津市立北大路中学校→近江高校→横浜DeNAベイスターズ
小学1年生の時に「晴嵐スポーツ少年団」で軟式野球を始めました。
小学生時代から、ピッチャーとして素晴らしく、チームを県大会ベスト8に導いています。
中学時代は、「草津シニア」に所属。
この「草津シニア」とは、元メジャーリーガーの大家友和投手が設立したシニアのチームです。
これまでに何度も全国大会に出場している強豪チームで、京山投手も在籍時に全国大会にも出場しています。
〇近江高校
高校は近江高校に進学。
1年夏の滋賀県大会から控え投手としてベンチ入りし、1試合に登板しています。
チームは甲子園に出場しますが、京山投手は残念ながらベンチ外でした。
1年秋の滋賀県大会では、1学年上の小川良憲投手(現・駒澤大学)の活躍により優勝。
続く近畿大会もベスト8に入り、翌年の選抜大会に出場します。
選抜では、2回戦・県岐阜商業選抜にリリーフとして登板。
投げたのは、1イニングだけでしたが、ノーヒット1奪三振という好投をみせています。
この時の好投により京山投手は、
「これは頑張れば(プロに)行ける」
とプロを明確に意識するようになりました。
2年夏の滋賀県大会では、2番手投手として5試合に登板、13回2/3を6安打無失点に抑えますが、チームは決勝で敗れ、甲子園出場はならず。
2年秋からはエースになりますが、腰痛を発症し、リハビリの日々が続きました。
○26イニング無失点
復活した3年夏の滋賀県大会では、4試合26回失点0、30奪三振、与四球5という圧倒的な好成績を残し、優勝します。
京山投手は、2年生の夏の滋賀県大会でも、点を取られていないんですよね。
もう県大会レベルでは、手に負えない感じのピッチャーだったんでしょうね。
甲子園では、初戦の常総学院に敗れています。
甲子園終了直後は、進学希望を表明していたが、
「大学に行ってからのプロは保証無いと思うんで、甲子園が終わって3、4日ぐらい経って、高校からチャンスがあるなら行こう」
という考え、また、父親の誠さんから
「チャンスなんだからプロに挑戦してみたら」
と背中を押され、プロ志望届を提出。
横浜DeNAからドラフト4位で指名され、入団します。
○プロ入り後
プロ入り1年目の2017年は、2軍の先発ローテーションに入り、主に先発として
16試合に登板し、6勝6敗、防御率4.17を記録しています。
この年、DeNAの2軍で規定投球回数に達しているのが、京山投手だけでした。
このことは、チームが先発投手として期待していることの表れだと思われます。
○プレースタイル
しなやかな腕の振りが魅力のスリークォーター右腕。
最速147km/hのストレートの他に、カットボール、スライダー、チェンジアップを投げます。
京山投手自身が「球速よりはキレで勝負するタイプ」と言うように、あまり球速にはこだわりはないようです。
憧れの投手はオリックスのエース・金子千尋投手。
「低めに全ての変化球が集まるし、どの変化球でも決め球に出来るのが、すごい」
と言い、YouTubeで金子投手の動画をよく見ているそうです。
○耐雪梅花麗
京山投手の座右の銘は「耐雪梅花麗」
西郷隆盛が残した漢文で「ゆきにたえてばいかうるわし」と読みます。
「梅の花が雪に耐えて花が開いたように、人間も、辛いことや 苦しいことを耐え忍んでこそ大成する」
といった意味があり、元広島・黒田博樹投手の座右の銘として有名になりました。
京山投手は、この言葉を入団の際に同級生から贈られ、それ以来、座右の銘としています。
〇結婚?
結婚と言うキーワードがよく検索されているようですね。
調べましたが、結婚はしていないようです。
まだ高卒2年目の選手ですから、さすがに結婚は早いでしょうかね。
ちなみに彼女の情報も調べてみましたが、こちらも分かりませんでした。
京山投手の課題は、体づくりです。
食べても太れないタイプで、週5日のウエート・トレーニングをこなすもなかなか体重が増えません。
まさに今、雪に耐えている状態でしょうね。
しかし、今を乗り越えれば、必ず花は咲くはず!
今後の京山将弥投手の活躍を見守っていきたいです。