野球

田中幹也(亜細亜大野球部)はスズメバチで病気に?進路や成績は?ドラフト注目!

亜細亜大学ドラフト候補田中幹也選手

身長166cmと小柄ながらも俊足巧打の内野手です。

東海大菅生時代には同期の戸田懐生投手(現・巨人)らともに甲子園ベスト4入りを達成!

亜細亜大学に進学後も1年生から大学日本代表に選ばれるなど活躍を続けていましたが、
あるアクシデントに見舞われ、3年秋のリーグ戦では、わずか1打席だけの出場に終わっています。

果たして田中幹也選手の前に立ちふさがったアクシデントとは?

田中幹也(みきや)のプロフィール

名前:田中 幹也(たなか みきや)
生年月日:2000年11月28日
出身:神奈川県愛川町
身長:166cm
体重:64kg
投打:右投げ右打ち
ポジション:ショート兼セカンド
家族:父、母、姉

経歴:愛川町立中津小学校→愛川町立愛川東中学校→東海大菅生高校→亜細亜大学

田中幹也(みきや)の小中学時代

田中幹也選手小学2年生から軟式野球を始めました。

中学時代は相模原シニアでプレー。

卒業後は東京にある東海大菅生高校進学します。

田中幹也(みきや)の高校時代

高校では1年夏からショートのレギュラーを獲得。

1年夏西東京都大会では2番打者として準優勝に貢献しました。

2年夏西東京都大会では1番打者を担い、打率.500をマーク!

決勝では清宮幸太郎選手(現・日本ハム)を擁する早稲田実業を破り、17年ぶり3度目の優勝を達成しました。

続く甲子園では16打数8安打2打点の好成績で、高校初のベスト4入り!

その後、2年秋1次予選敗退3年夏西東京都大会準決勝敗退に終わり、甲子園出場はならず。


東海大菅生同期チームメイトには戸田懐生投手(※中退)、片山昂星選手(現・青山学院大学)らがいました。

戸田懐生投手についてはこちらを→戸田懐生(徳島)の現在は?東海大菅生を退学した理由は? ドラフト指名はある?

田中幹也(みきや)の大学時代

1年春のリーグ戦では7試合セカンドスタメン出場。

26打数9安打5打点打率.3466盗塁の好成績を収め、7月には早くも大学日本代表に選出されいます。


大学日本代表では第43回日米大学選手権に出場。

1試合のスタメン出場を含む全5試合中4試合に出場し、優勝を経験しました。
 
大学のリーグ戦ではセカンドのレギュラーとして出場を続け、
2学年上の矢野雅哉選手(現・広島)が抜けた3年春から本職であるショートに戻ります。

3年春にはベストナイン初受賞するなど好調を続けていた田中幹也選手でしたが、
3年夏北海道合宿で思わぬアクシデントに見舞われてしました。

田中幹也(みきや)とハチと病気

田中幹也選手3年夏北海道合宿中スズメバチに刺されて、入院されています。


さらに入院中に「潰瘍性大腸炎」という厚生労働省指定難病にかかっていることが発覚しました。

「潰瘍性大腸炎」は血便を伴う下痢や激しい腹痛などの症状が現れる炎症性慢性疾患です。

重症化すると大腸摘出手術が必要になったり、最悪の場合は死亡したりするケースもあります。

「潰瘍性大腸炎」寛かいはしても治癒しない病気で、オリックスの安達了一選手も「潰瘍性大腸炎」を抱えながらプレーされています。

田中幹也選手は3年秋のリーグ戦途中で一度は復帰したものの、再び体調が悪化し、再び入院

約2カ月の入院で治療に専念し、12月上旬退院されています。

田中幹也(みきや)のプレースタイル

田中幹也選手は野球センスに優れたプロ注目の内野手です。

甘い球を見逃さない積極的なバッティングが持ち味で、チームでは主に1番打者を任されています。

守りでは守備範囲が広く素早い送球でアウトにすることから、高校時代には“忍者”の愛称でも呼ばれていました。


また、50m5秒8と足も速く、大学2年秋のリーグ戦では10試合で10盗塁を記録しいています。
 
遠投95メートル。

憧れの選手は大学の先輩でもある中日、巨人で活躍した井端弘和さん。

田中幹也(みきや)の進路

田中幹也選手
「プロに行きたい。野球ができずにつらい思いをした分、野球を心の底から楽しんで、結果を出してチームに貢献したい」
と、すでにプロ志望を明らかにされています。

田中幹也(みきや)のまとめ

現在、田中幹也選手は3年生の12月初めに退院した後は食事制限もなく、一時は10㎏減った体重も順調に回復しているそうです。

同じ病気で苦しむ人たちに勇気を与えるためにも、なんとかプロ入りを果たしてほしいですね!