陸上

中谷雄飛(早稲田大)の進路の実業団は?出身中学や佐久長聖時代は?

早稲田大学競走部の絶対的エース・中谷雄飛選手

「中谷雄飛」名前の読み方“なかや ゆうひ”

佐久長聖時代から世代のトップランナーとして活躍を続けていました。

早稲田大学進学後は、1、2年生の時は怪我スランプでやや結果が残せませんでしたが、
3年生からは自己ベストを更新したり、区間賞を獲得したりするなど復活を果たしています。

中谷雄飛(なかやゆうひ)のプロフィール

名前:中谷 雄飛(なかや ゆうひ)
生年月日:1999年6月11日
出身:長野県下諏訪町
身長:169cm
体重:58kg
経歴:下諏訪町立下諏訪中学校→佐久長聖高等学校→早稲田大学

中谷雄飛(なかやゆうひ)の小中学時代

3歳頃から水泳をされていた中谷雄飛選手は中学に入ってから、本格的に陸上を始めました。

中学3年生の時には全中に出場し、1500mで8位という好成績を収めています。

その後、長野県代表として都道府県対抗男子駅伝を走りたいという思いから3000m5000mといった長い距離にシフトしていきしました。

中谷雄飛(なかやゆうひ)の高校時代

中学卒業後は、地元の名門・佐久長聖高等学校進学

高校では1年生後半から2年生にかけては、貧血に苦しみ、思うような成績を残せませんでしたが、
高校2年生の中ごろから、一気に成績を伸ばしていきます。

3年生になるとインターハイ国体では5000mで、それぞれケニア人留学生に次ぐ日本人トップ4位2位

全国高校駅伝ではエースが集まる1区区間賞を獲得し、チームを9年ぶり2度目の日本一に導きました。


高校3年生の時には出場したレースでは、同世代の日本人には一度も負けておらず、“世代最強ランナー”と呼ばれていましたね!

中谷雄飛(なかやゆうひ)の大学時代

高校卒業後は早稲田大学スポーツ科学部進学します。

この佐久長聖高校から早稲田大学という経歴は、東京オリンピックマラソン日本代表の大迫傑選手と一緒です。

大学では1年生から大学三大駅伝すべてに出場。

出雲駅伝では3区を走り、区間4位(チームは総合10位)
全日本大学駅伝では3区を走り、区間2位(チームは総合15位)
箱根駅伝では1区を走り、区間4位(チームは総合12位)

2年次
出雲駅伝では出場なし(チームが不出場)
全日本大学駅伝では3区を走り、区間6位(チームは総合6位)
箱根駅伝で1区を走り、区間6位(チームは総合7位)

出場した駅伝では全て区間一桁台と安定した成績を残してた中谷雄飛選手でしたが、本人はこの成績に満足していなかったそうです。


3年夏には、さらに記録を伸ばすために大迫傑選手が主宰する大学生の強化チーム「Sugar Elite」合宿に参加しました。

この合宿を経験したことで、中谷雄飛選手は高校時代の輝きを取り戻し、3年生全日本大学駅伝では3区で、区間賞を獲得しています。

3年次出雲駅伝は新型コロナウイルスの影響で大会中止
箱根駅伝3区を走り、区間8位(チームは総合6位)。

早稲田大学の同期のチームメイトには太田直希選手、千明龍之佑選手らがいます。

太田直希選手についてはこちらを→太田直希(早稲田大)は兄姉父もすごい!進路はヤクルト?浜松日体時代は?

中谷雄飛(なかやゆうひ)の自己ベスト

1500m 3分47秒24
3000m 8分00秒19
5000m 13分39秒21
10000m 28分19秒27

中谷雄飛(なかやゆうひ)の進路

大学卒業後、中谷雄飛選手SGホールディングスに入社し、陸上を続けることが決まっています。

高校、大学の先輩である大迫選手を目標にしている中谷雄飛選手ですが、
「納得するまでトラックで勝負。日本記録を超える記録で走りたい」
と話されていますので、おそらく実業団ではマラソンではなく、トラック競技に力を入れて、世界陸上オリンピック出場を目指すのではないでしょうか。

中谷雄飛(なかやゆうひ)のまとめ

“スーパールーキー”と呼ばれ、1年生から注目されていた中谷雄飛選手も、もう大学4年生です。

大学最終学年の今シーズンは“世代最強ランナー”にふさわしい活躍を見せてほしいですね!