重量挙げ女子87キロ超級のローレル・ハバード選手。
ローレル・ハバード選手はオリンピックに出場する初のトランスジェンダー選手として注目を集めています。
前回はローレル・ハバード選手の女性なってからと出場に伴う批判などについて書きましたので、
今回はローレル・ハバード選手の男性時代と家族についてまとめてみました。
女子に性転換して東京五輪重量あげ金メダルを目指すローレルハバード選手 pic.twitter.com/t40jZpjdc5
— れごむー (@ru_shmore) February 29, 2020
ローレル・ハバードの父と母
ローレル・ハバード選手のお父さんであるディック・ハバードさんは、オークランドの元市長です。
Businessman and former mayor Dick Hubbard endorses Labour over climate change https://t.co/8kEwtvjKYY pic.twitter.com/1qVEQrS8Jj
— nzherald (@nzherald) September 18, 2017
また、お父さんはハバード食品(Hubbard Foods Ltd)の創業者でもあります。
ローレル・ハバード選手はかなり裕福な家庭で育ったみたいですね。
ローレル・ハバード選手のお母さんの名前はダイアナリーダーさんです。
ディック・ハバードさんとダイアナリーダーさんは1970年に結婚し、2人の子供をもうけました。
そのうち、一人はローレル・ハバード選手ですので、ローレル・ハバード選手には兄弟か姉妹が一人いるということになります。
ローレル・ハバードの男性時代
ローレル・ハバード選手の生まれたときの名前はギャビン・ハバードです。
ローレル・ハバード選手は若い頃から自分の女性らしさに気づいており、男性的になろうと“典型的な男性スポーツ”である重量挙げを始めました。
20歳の時には男子105キロ超級でニュージーランドのジュニア記録を更新!
スナッチで135キロ、クリーン・アンド・ジャークで170キロ、合計300キロという記録を残しています。
しかし、自分に向いていない世界に適応するプレッシャーに耐え切れず、23歳で重量挙げを止めてしまいます。
その後は、競技団体の役員として重量挙げに関わっていました。
そして、2012年、ローレル・ハバード選手は性転換により女性となり、名前もローレルに変えています。
ローレル・ハバードの男性時代の画像
The public feel ‘betrayed’ by the Olympic committee’s decision to allow Laurel Hubbard to compete in the women’s weightlifting division, with 21,000 signing a petition calling for the rules to be overhauled moving forward.#LaurelHubbard #TokyoOlympicshttps://t.co/CsKfmGJ0dA
— Mr Alex Bloodfire, Esq 💙 WritingCommunity (@alexbloodfire) July 5, 2021
左側が、男性だったころのローレル・ハバード選手です。
ヒゲを生やされていますね。
これも少しは男性らしく見せるためだったのでしょうか。
写真は笑顔でも、心の中では苦しんでいたのかもしれませんね。
ローレル・ハバードのまとめ
トランスジェンダーであるローレル・ハバード選手がオリンピックに出場することには批判的な意見も多いですね。
しかし、オリンピックの歴史を見ても、1896年の第1回大会は女性の参加は認められておらず、
初めて女性がオリンピックに参加したのは1900年の第2回大会からです。
それも、ごく少数で、IOCが「女性にふさわしい」とみなした競技だけでした。
さらに障碍者のためのオリンピックであるパラリンピックが開かれたのは1952年からです。
今回、ローレル・ハバード選手が出場する東京オリンピックはその2つに並ぶエポックメーキング的な大会になると思います。
ローレル・ハバード選手にはいい結果を残してほしいですね!
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