現在、支配下選手が65人(上限70人)の中日ドラゴンズは、今シーズンの開幕までに複数の育成選手を支配下登録する可能性があります。
ピッチャー陣の中で、一番支配下登録に近いといわれているのが、育成2年目の木下雄介投手です。
木下雄介投手は、大学を中退し、不動産会社に就職して、一度は完全に野球を辞めていた時期がありました。
しかし、野球を諦めきれずに2年間のブランクを経て、独立リーグのチームに入団。
2016年のドラフトでに育成1位で指名され、中日に入団しています。
木下雄介のプロフィール

名前:木下雄介(きのした ゆうすけ)
生年月日:1993年10月10日
出身:大阪府大阪市
身長:183cm
体重:82kg
投打:右投げ右打ち
ポジション:投手
年棒:300万円(2018年)
経歴:大阪市立加美中学校→生光学園→駒澤大学(中退)→徳島インディゴソックス→中日ドラゴンズ
木下雄介の学生時代
木下雄介投手は、小学校3年時から軟式野球を始めました。
中学時代は、「加美ウイングス」に所属。
高校は、徳島県の生光学園に進学します。
3年夏の徳島県大会では、背番号10ながら、全試合に先発し、決勝まで勝ち上がっています。
決勝では、延長13回の末、2対3でサヨナラ負けをして、惜しくも甲子園出場はなりませんでした。
しかし、大会終了後の8月には、四国選抜チームに選ばれて、巨人の増田大輝選手らとともにハワイ遠征を経験しています。
木下雄介の大学中退と就職
高校卒業後、駒澤大学に進学しますが、肩の故障もあり、1年で中退してしまいます。
大学中退後は地元大阪に帰り、スポーツジムのインストラクターや、日雇いで冷蔵庫の配送、イベント会場の設営などのアルバイトで生活していました。
その後、不動産会社に就職し、完全に野球とは縁を切っていました。
しかし、2013年に開幕から24連勝を達成した楽天・田中将大投手の姿をテレビで見て、
「もう一度、三振がとりたい」
と野球への想いが再燃します。
そして、高校時代の四国選抜チームで一緒だった増田大輝選手が、独立リーグで頑張っているのを見て、自分も独立リーグで頑張ろうと練習を再開。
2015年に独立リーグの個別トライアウトを受け、3月に徳島インディゴソックスと練習生として入団しました。
木下雄介の独立リーグ時代
徳島インディゴソックスでは、1年目の開幕後に支配下選手となり、15試合に登板。
しかし、2年間のブランクから思うような投球ができず、防御率は5点台に終わっています。
2年目は、球速も最速150km/hを記録するまでになり、主にリリーフとして活躍。
44回1/3を投げ、防御率3.45という成績を残しています。
その年のドラフトで中日から育成1位で指名され、入団しました。
木下雄介投手とDeNA・今永昇太
木下雄介投手の駒澤大学時代の同期のチームメイトには、DeNAの今永昇太投手がいました。
今永投手とは、今でも連絡を取り合い、練習法を聞くこともある仲だそうです。
独立リーグ時代は、今永投手に追いつきたいと頑張り、プロ入りを果たしました。
木下雄介の妻と子ども
木下雄介投手は、プロ入り前に結婚されていて、奥さんと娘がいます。
奥さんの名前は茜さんと言って、木下雄介投手はバイト先で出会ったそうです。
2歳年上の姉さん女房で、木下雄介投手が野球を再開するか悩んでいた時にも
「野球をやったらええやん」
と背中を押してくれました。
また、ドラフトに指名される約3週間前の2016年10月1日には、長女・叶望(かな)ちゃんも生まれています。
プロ入り後は、木下雄介投手は、妻子を大阪に残して、単身寮で生活しています。
プロ入りした際のインタビューで、
「早く支配下になって、しっかり稼いで少しでも楽にしてあげたい」
と答えています。
奥さんと娘さんのためにも一日でも早く一緒に暮らせるぐらい稼げるようになるといいですね!