創志学園のドラフト候補・坪井洸之介選手。
俊足巧打のプロ注目のショートです。
プロ野球選手の父と祖父を持ち、親子三代でのプロ入りを目指しています。
創志学園 坪井Jr・洸之介、手負いの逆転三塁打で中国大会切符けん引― スポニチ Sponichi Annex 野球 https://t.co/dxTIpn0Uwh
— スポニチ野球記者’21 (@SponichiYakyu) October 10, 2020
坪井洸之介のプロフィール
名前:坪井 洸之介(つぼい こうのすけ)
生年月日:2004年3月24日
出身:兵庫県神戸市
身長:176cm
体重:73kg
投打:右投げ左打ち
ポジション:ショート
経歴:神戸市立井吹台中学校→創志学園
坪井洸之介の父
坪井洸之介選手の父・坪井智哉さんは元プロ野球選手です。
現役時代のポジションは外野手。
PL学園、青山学院大学、東芝を経て、1997年のドラフトで阪神に4位で指名を受け、入団。
プロでは1年目から、打率.327の好成績を残しています。
この打率.327というのは、いまだ破られていないセ・パ両リーグの2リーグ制分立後の新人最高打率です。
坪井洸之介君が来年阪神来たらグッズ買います(予告)ついでに智哉さんの方もコーチで帰ってきて
— 坪井P (@Tigers32TSUBOI) October 26, 2020
その後、日本ハム、オリックス、アメリカ独立リーグでプレーし、2014年に引退。
現在は横浜DeNAベイスターズの一軍打撃コーチを務めています。
坪井洸之介の祖父
また、坪井洸之介選手の祖父・坪井新三郎さんも元プロ野球選手です。
現役時代のポジションは内野手。
PL学園を卒業後、PL教団、マツダオート名古屋、富士製鐵名古屋でプレーし、1969年にドラフト外で中日ドラゴンズへ入団。
しかし、プロではあまり活躍することはできずに、1976年に太平洋クラブライオンズへトレードされ、翌年、引退されています。
坪井洸之介の小中学時代
坪井洸之介選手は小学4年生から高倉台少年野球団で野球を始めました。
当時のポジションはショート兼ピッチャー。
小学6年生の時にはセレクションを勝ち抜き、オリックスジュニアに選出されています。
中学時代は神戸中央シニアでセカンドとしてプレー。
中学3年春には全国選抜大会で準優勝を経験しました。
坪井洸之介の高校時代
中学卒業後は岡山県にある創志学園に進学します。
高校では1年秋から背番号14でベンチ入り。
セカンドや外野を守り、2年秋からショートのレギュラー。
2年秋の岡山県大会では、主に3番打者を任され、優勝に貢献しました。
https://t.co/LvseFgiLHZ
— 300bamboo (@300bamboo) October 4, 2020
DeNA・坪井智哉打撃コーチの長男で遊撃を守る坪井洸之介(2年)が9回先頭で遊撃への打球を放つと、決死のヘッドスライディングで内野安打に。これが口火となって後続の連打で同点とし、なおも無死一、三塁から犠飛での劇的勝利を呼び込んだ。
続く中国地区大会では初戦の宇部鴻城戦に1番・ショートで出場。
坪井洸之介選手は4打数0安打に抑えられ、チームも2対7で敗れています。
坪井洸之介のプレースタイル
坪井洸之介選手はバットコントローに優れた左打ちのショートです。
野球を始めた時は右打ちでしたが、小学5年生の時に父と同じ左打ちに転向。
坪井洸之介は、フリー打撃でも、左右に鋭い打球を打ち分ける。「全然、まねしてないんですが、たまに似てると言われますね」と笑う。小5の時、右打ちから父と同じ左打ちへ。「右でも悪くなかったが、当時はアベレージヒッターだったので、左の方が一塁にも近く、打率も高くなると父から言われました」
— 達也 (@ta_tsu_ya820608) December 21, 2020
打撃の参考にしているのは
「前のポイントで打つところが自分と同じなので」
という理由で、父と親交のあるイチローさんです。
50メートル走6秒2。
坪井洸之介の進路
坪井洸之介選手はまだ高校卒業後の進路に関しては明らかにされていません。
高校から直接というよりは、お父さんのように大学や社会人経由でプロ入りしそうなタイプに思えますが、どうされるのでしょうね?
坪井洸之介選手の進路に関しては何か分かりましたら、改めて追記させていただきます。
※追記 高校卒業後は中央大学に進学!
坪井洸之介のまとめ
父と祖父はともに名門・PL学園出身ですが、2人とも甲子園には出場されていません。
坪井洸之介選手には親子三代のプロ野球選手になる前に、ぜひ、坪井家初の甲子園出場を達成してほしいですね!