野球

米崎薫暉(明徳義塾)は主将でドラフト候補のショート!父もすごい?進路や中学時代は?

明徳義塾ドラフト候補米崎薫暉選手。

「米崎薫暉」“よねざき くんが”と読みます。

元プロ野球選手に持つ世代を代表するショートです。

強豪校で1年夏からレギュラーとして甲子園出場!

3年生の今年は主将としてセンバツ出場を決めています。

米崎薫暉のプロフィール

名前:米崎 薫暉(よねざき くんが)
生年月日:2004年3月23日
出身:大阪府豊中市
身長:171cm
体重:74kg
投打:右投げ右打ち
ポジション:ショート
経歴:豊中市立第十五中学校→明徳義塾高校

米崎薫暉の父

米崎薫暉選手・薫臣(くんじ)さんは、元プロ野球選手です。

現役時代のポジションショート。

此花学院(現・大阪偕星学園)を卒業後、日本生命入社。

1988年には日本代表最年少メンバーとして、ソウルオリンピックにも出場!

野茂英雄さん、古田敦也さんらとともに日本の銀メダル獲得に貢献しました。

そして、その年のドラフト近鉄バファローズ1位指名され入団。

当時、近鉄の監督だった仰木彬さんからは野球センスを高く評価されていましたが、プロでは怪我もあり、なかなか活躍できませんでした。

近鉄、阪神8年間プレーした後、引退。

現在は、兵庫県宝塚市の会社に勤めながら、茨木ナニワボーイズコーチをされています。

米崎薫暉の小中学時代

米崎薫暉選手父親プロ野球選手ということで、子供の頃から漫画『巨人の星』の星一徹、飛雄馬親子のような厳しい英才教育を受けさせられたのかと思われるかもしれませんが、
実際はそんなことはなく、小さい頃は自由に楽しく野球をやっていたそうです。

米崎の父・薫臣(くんじ)さんは、此花学院から日本生命に進み、88年ドラフト1位で近鉄に入団。その後は阪神でもプレーした。現役時代は強肩の遊撃手でならしたが、米崎は英才教育を受けたわけではない。「小さい頃から野球をやっていたが、自由に楽しくやっていました」

日刊スポーツ

中学からはコーチを務める茨木ナニワボーイズでプレー。

茨木ナニワボーイズは、OBには元・中日の立浪和義さんもいる名門チームです。

全国大会の出場はないものの4番・ショートとして活躍!

時には、強肩を活かしてピッチャーとしてマウンドに上がることもありました。

中学卒業後は、高知県にある明徳義塾高校進学します。

米崎薫暉の高校時代

高校では1年生からベンチ入り。

1年夏の甲子園では背番号18ながら、全2試合8番・ショートで出場。

初戦藤蔭戦ではヒットも記録し、7打数1安打0打点の成績を残しています。


1年秋には高知県3位四国大会優勝を達成!

しかし、出場を決めていた2年春センバツ新型コロナウイルスの影響で中止。

その代りに行われた甲子園交流試合には7番・ショートで出場し、3打数1安打1打点の成績。

試合は鳥取城北逆転サヨナラ6対5勝利しています。


2年秋からは主将を務め、秋の高知県大会四国大会優勝を達成!

四国大会では全3試合3番・ショートで出場し、9打数5安打2打点、3四球の大活躍を見せていました。

高校の同期のチームメイトにはプロ注目の大型サウスポー・代木大和投手らがいます。

代木大和投手についてはこちらを→代木大和(明徳義塾)はドラフト候補のピッチャー!父もすごい!球速球種や中学時代は?

米崎薫暉のプレースタイル

米崎薫暉選手は野球センスに優れたショートです。

軽快なフットワーク遠投115メートルの強肩を活かした堅実な守備が持ち味。

バッティングでは弱点が少なく、2年秋からクリーンナップを任されています。

好きな野球選手は、西武・源田壮亮選手。

50メートル走6秒3。

米崎薫暉の進路

米崎薫暉選手は、まだ高校卒業後の進路に関しては明らかにされていません。

1年生の頃の雑誌のプロフィールには、将来の夢について警察官と書かれていましたが、変わってないのでしょうか?

米崎薫暉選手の実力でしたら、お父さんに続いての親子2代でのプロ野球選手を目指せると思うのですが・・・。

米崎薫暉選手進路に関しては何か分かりましたら、改めて追記させていただきますね。

※追記 高校卒業後は近畿大学進学!

米崎薫暉のまとめ

米崎薫暉選手3年春センバツの活躍次第では、高校日本代表に選ばれる可能性があります。

日本代表の監督明徳義塾の馬淵史郎監督ということで、ちょっぴり有利かもしれませんね。

※注 もちろん実力も十分です!

お父さんと同じように日の丸を背負って、戦う米崎薫暉選手を見てみたいものですね!