陸上

吉川洋次(東洋大)は那須拓陽出身の陸上選手!進路はヤクルト?シューズや怪我は?失格とは?

東洋大学陸上部吉川洋次選手。

強豪・東洋大学1年生から中心選手として活躍している陸上選手です。

吉川洋次選手名前の読み方“よしだ ひろつぐ”です。

下の名前は“ようじ”ではないんですね。

前回大会では総合10位に沈んだ東洋大学復活の期待を背負って、大学最後の箱根駅伝に臨みます。

吉川洋次のプロフィール

名前:吉川 洋次(よしだ ひろつぐ)
生年月日:1998年6月9日
出身:栃木県那須塩原市
身長:169cm
体重:52kg
ベスト記録:10000m28分53秒51
経歴:那須塩原市立東原小学校→那須塩原市立黒磯北中学校→栃木県立那須拓陽高校→東洋大学

吉川洋次の小中学時代

子供の頃の吉川洋次選手はあまり運動が得意ではなかったと言います。

しかし、長距離を走ることだけには自信がありました。

小学5年生のお正月に見た箱根駅伝を見たことがきっかけで、中学入学後から本格的に陸上を始めます。

中学2年生の時には県で2位に入ったことがあるそうです。(種目は不明)

吉川洋次の高校時代

中学卒業後は那須拓陽高校に進学します。

那須拓陽高校は駅伝の強い県立の高校です。

卒業生にはは女子マラソン日本歴代2位の記録を持つ渋井陽子さんがいます。

吉川洋次選手1学年上にも郡司陽大選手(東海大学→小森コーポレーション)、廻谷賢選手(日本体育大学→サンベルクス)がいました。

郡司陽大選手についてはこちらを→郡司陽大(東海大)は兄も箱根駅伝に出場!郡司豚とは?名前読みや進路についても!

吉川洋次選手全国高校駅伝には1年生2年生の時に出場。

1年時には6区を走り、区間8位(チームは総合9位)、
2年時には3区を走り、区間11位(チームは総合22位)という成績を残しています。

吉川洋次選手と失格

吉川洋次選手3年時には5000mインターハイ出場しています。

しかし、予選「縁石のうえ、内側ライン上またはその内側を走行した」というミスを犯してしまい、失格となってしまいました。


しかも、吉川洋次選手失格インターハイだけではなく、
3年時栃木県高校駅伝でも同じようなミス失格となっています。

3年時栃木県高校駅伝では1区を走った吉川洋次選手でしたが、走路違反をしてしまい失格。

チームは1位でゴールしたものの全国大会には出場できませんでした。

違反の内容は那須拓陽の選手が他校の選手との先頭争いの中、緩やかな右カーブで約4メートルにわたってセンターラインを越えて走り距離を短縮したというもの。(中略)「車道ではセンターラインの左側を走る」は競技注意事項に含まれるという。

出典:下野新聞SOON


特に2つ目の駅伝での失格は自分だけではなく、周りの人にも迷惑をかけてしまったということで、一時は陸上を辞めようと思ったほど苦しんだそうです。

吉川洋次の大学時代

東洋大学進学後1年生から主力として活躍!

1年時出雲駅伝では4区で出走し、区間4位。(チームは総合5位)
1年時全日本大学駅伝では8区で出走し、区間4位。(チームは総合5位)
1年時箱根駅伝では4区で出走し、区間2位。(チームは往路優勝総合2位)


2年時出雲駅伝では6区で出走し、区間1位。(チームは総合2位)
2年時全日本大学駅伝怪我のため出場せず。(チームは総合3位)
2年時箱根駅伝では3区で出走し、区間4位。(チームは総合3位)


3年時出雲駅伝怪我のため出場せず。(チームは総合3位)
3年時全日本大学駅伝怪我のため出場せず。 (チームは総合5位)
3年時箱根駅伝では3区で出走し、区間13位(チームは総合10位)

4年時出雲駅伝新型コロナウイルスの影響で中止。
4年時全日本大学駅伝怪我のため出場せず。(チームは総合6位)

ちょっと怪我が多いですが、安定した成績を残していますね。

吉川洋次の進路

大学卒業後、吉川洋次選手ヤクルトに入社し、陸上を続けることが決まっています。

吉川洋次のシューズ

吉川洋次選手2020年箱根駅伝ではナイキの厚底シューズである「ヴェイパーフライ NEXT%」を履かれています。

色はピンクでした。

吉川洋次のまとめ

東洋大学は前回の箱根駅伝で11大会連続3位以内という記録が途切れてしまいました。

エースの西山和弥選手とともに吉川洋次選手不調が痛かったですね。

再び3位以内に返り咲くためにも吉川洋次選手の大学最後の走りに期待したいですね!

西山和弥選手についてはこちらを→西山和弥(東洋大)の進路はトヨタ!文春砲の不調から復活?ほっぺがアンパンマンみたい?