野球

代木大和(明徳義塾)はドラフト候補のピッチャー!父もすごい!球速球種や中学時代は?

明徳義塾ドラフト候補代木大和投手。

名前の「代木大和」“しろき やまと”と読みます。

明徳義塾エースといえば、1学年上の新地智也投手など技巧派が多いですが、
代木大和投手はストレートで勝負できる本格派の左ピッチャーです。

その実力は、明徳義塾の馬淵史郎監督が「野球でメシが食える力がある」と太鼓判を押すほど!

2年秋の公式戦では7試合7完投、4完封!
防御率0.58の圧巻のピッチングで、高知県大会四国大会を制しています。

※追記 読売ジャイアンツドラフト6位!

代木大和のプロフィール

名前:代木 大和(しろき やまと)
生年月日:2003年9月8日
出身:愛媛県四国中央市
身長:184cm
体重:83kg
投打:左投げ左打ち
ポジション:ピッチャー
経歴:四国中央市立川之江南中学校→四国中央市立川之江南中学校→明徳義塾高校

代木大和の父

代木大和投手の父・代木謙太さんも愛媛県の古豪・川之江高校、亜細亜大学で野球をされていました。

ポジションは高校まではピッチャーで、大学野手転向されています。

いわゆる“松阪世代”の選手で、亜細亜大学の同期には木佐貫洋投手(元・巨人)、永川勝浩投手(元・広島)、小山良男選手(元・中日)ら錚々たるメンバーがいました。

4年時大学選手権、明治神宮大会では日本一を経験しています。

当時、亜細亜大学の主将を務めていた小山選手からは
「あいつが覚醒したらドラフト1位です」
と言われるほどの選手だったそうです。


代木大和の小中学時代

代木大和投手小学1年生から金田少年野球クラブ軟式野球を始めました。

当時のポジションは外野手。

中学時代は川之江ボーイズに所属し、3年時にはエースとして活躍!

全国大会とは縁がありませんでしたが、県内外の多くの強豪校から勧誘を受けました。

代木大和投手はその中から高知県にある明徳義塾を選び、進学。

明徳義塾を選んだ理由としては、馬淵史郎監督の指導を受けたい、との想いが大きかったと言います。

中学3年の頃、馬淵史郎監督に指導を受ける機会があった。アドバイス通りに投げると「ミットに吸い込まれた。投げたことのない球筋だった」。指導を仰ぐため、明徳義塾への進学を決めた。

毎日新聞

代木大和の高校時代

高校では1年春から背番号20ベンチ入り。

1年春の四国大会1回戦・徳島北戦で公式戦デビュー。

対戦した打者は一人だけでしたが、三振を奪っています。


その後、1年夏の高知県大会甲子園はベンチ外。

1年秋からは再びベンチ入りし、高知県大会&四国大会優勝を経験しました。

続く各地区の優勝チームが集められた明治神宮大会では、準々決勝・中京大中京戦先発に抜擢!

代木大和投手3回を4安打2奪三振2失点(自責点1)の成績で、試合は0対8で敗れています。

2年夏には甲子園交流試合に出場。

代木大和投手リリーフとしてマウンドに上がり、1回 2/3を、3安打、1奪三振、無失点に抑えています。


2年秋の新チームからはエースとして活躍!

高知県大会四国大会7試合に登板し、全て完投。4完封。

合計62回を投げ、54奪三振、自責点4、防御率0.58の圧倒的な成績で優勝を達成しました。


高校の同期のチームメイトには畑中仁太投手、主将の米崎薫暉選手らがいます。

米崎薫暉選手についてはこちらを→米崎薫暉(明徳義塾)は主将でドラフト候補のショート!父もすごい?進路や中学時代は?

代木大和のプレースタイル

代木大和投手身長184cm大型サウスポーです。

ストレートの最速は139km/h。

変化球スライダー、カーブなど。

スタミナも豊富。

遠投90メートル。

50メートル走6秒7。

代木大和のスカウト評価

プロスカウト
「(高知高校の)森木君と代木君の2人で切磋琢磨して、大きく育ってほしい。今から楽しみ」

代木大和のまとめ

代木大和投手1年春から四国大会で登板するなど、早くから注目されていました。

その後も、順調に成長しており、来春のセンバツでの活躍が楽しみです。

代木大和投手高校卒業後の進路についてはわかっていませんが、
個人的には高卒でプロ入りしてもらって、お父さんの亜細亜大学時代の後輩のソフトバンク・松田宣浩選手との対戦なんかを見てみたいですね!