倉敷商業のドラフト候補・原田将多選手。
堅守に加え、勝負強いバッティングが持ち味のショートです。
2年秋からは主将に就任すると、MVP級の大活躍で、中国地区大会初優勝を達成しました。
※追記 高校卒業後は上武大学に進学!
原田将多 倉敷商3年
— ぶるーたす (@bluamabase) April 2, 2020
倉敷商では前チームからセカンドのレギュラーとして、2年秋の新チームからは主将ショートをとして堅守をチームを牽引。2番打者としても、バントなどもこなす一方、チームトップの打率.447、打点18をマークして、チームを中国大会優勝に導いた。#本日の選手紹介 pic.twitter.com/u0nyPir6v0
原田将多のプロフィール
名前:原田将多(はらだ しょうた)
生年月日:2002年4月17日
出身:岡山県倉敷市
身長:172cm
体重:74kg
投打:右投げ右打ち
ポジション:ショート
経歴:倉敷市立真備東中学校→倉敷商業
原田将多の父
原田将多選手の父・浩二さんも倉敷商業野球部のOBです。
1988年夏にはサードのレギュラーとして甲子園にも出場し、1勝を挙げています。
原田将多の小中学時代
原田将多選手は父の影響で物心ついたころから、常に野球と一緒でした。
小学4年の夏、父と観戦に行った甲子園で倉敷商業の選手たちを見て以来
「絶対ここに入ろう」
と心に決めていたと言います。
中学時代はヤングMAKIBIクラブでプレー。
卒業後は、小学校の頃からの意志を貫徹し、倉敷商業に進学しました。
原田将多の高校時代
高校では1年生からベンチ入り。
2年夏の岡山県大会にはセカンドのレギュラーとして臨み、
準決勝で創志学園の西純矢投手(現・阪神)から2本のヒットを放つなど、
打率.474の活躍で、決勝まで進出します。
岡山学芸館との決勝では、1点を追う九回2死二塁の場面で、原田将多選手に打席が回ってきました。
しかし、空振り三振に終わり、試合終了。
甲子園出場はなりませんでした。
第101回全国高校野球岡山大会決勝
— 逆転猫(高校野球愛復活✨) (@kokki197) July 28, 2019
岡山学芸館 000010010 2
倉敷商 000100000 1
岡山学芸館(4年ぶり2回目)
本命なき混戦を制したのは、岡山学芸館で4年ぶり2回目の出場を決めました。星野仙一さんの母校倉敷商は惜しくも涙を飲んだ。
2年秋の新チームからは主将としてチームを引っ張ります。
2年秋の岡山県大会で準優勝し、中国地区大会に進むと、
準々決勝の矢上戦ではスリーランホームランを含む3安打6打点、
準決勝の広島新庄戦では延長十一回に決勝の3点スリーベースを放つなど3安打4打点、
大会通じて19打数8安打11打点、打率.421の大活躍で、初優勝を達成しました。
原田将多のプレースタイル
原田将多選手はミート力に加えてパワーも兼ね備えたショートです。
2年秋の公式戦での打率.447、18打点はいずれもチームトップ!
本人が「元々は打撃には自信がなく、守備の人だった」
と言っているように、強肩と球際の強さを活かしたショートの守備でも定評があります。
尊敬する人物はNTT東日本の上川畑大悟選手。
上川畑選手は倉敷商業のOBですね。
上川畑選手についてはこちらを→上川畑大悟(NTT東日本)ドラフト候補の身長や出身中学高校は?特徴も!
50m6秒5。
原田将多の進路
原田将多選手は高校卒業後の進路に関しては、まだ明言を避けらています。
おそらく高卒即プロというよりも、大学か社会人を経験してから、プロを目指すのではないでしょうか?
原田将多選手の進路に関しては何か分かりましたら、追記しますね。
原田将多のまとめ
原田将多選手は高校1年の夏に西日本豪雨を経験しています。
自宅は2階まで浸水し、思い出のグラブもユニホームも、父が甲子園に出場した際に持ち帰った土も流されてしまいました。
さらに3年生になってからは出場を決めていた春のセンバツ大会が中止、夏の選手権大会も中止と、なかなか不運な高校時代を過ごしています。
それでも、原田将多選手にはまだ甲子園での交流試合が残されています。
甲子園での交流試合でいっぱい活躍して、次のステージへとつなげていってほしいですね!