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村田浩明(横浜高校野球部監督)の現役時代や白山監督時代の成績は?

村田浩明 横浜

横浜高校野球部新監督前・白山高校監督の村田浩明氏が就任!

横浜高校では昨年9月部員への暴言暴力行為によって当時の監督部長解任され、高山大輝さんが監督代行を務めていました。

事件のあらましについてはこちらを↓
横浜高校野球部の監督部長が暴言暴力で解任!活動自粛!金子雅部長とは?

横浜高校出身村田浩明監督は1学年上に成瀬善久投手(現・栃木ゴールデンブレーブス)、同級生に涌井秀章投手(現・楽天)らがおり、
2年春には選抜準優勝3年夏には主将として甲子園ベスト8を経験しています。

果たして、横浜高校の立て直しはなるのでしょうか?

村田浩明のプロフィール

名前:村田浩明(むらた ひろあき)
生年月日:1986年7月17日
出身:神奈川県
経歴:横浜高校→日本体育大学→神奈川県立霧が丘高等学校→神奈川県立白山高等学校

村田浩明の現役時代

中学時代、村田浩明監督川崎北シニアに所属。

当時から強肩強打のキャッチャーとして活躍していました。

川崎北シニアは伝統的に東海大相模、甲府など、東海系列の高校に進む選手が多いチームです。

しかし、小学6年生の時に松坂大輔投手(現・西武)を擁し、甲子園で春夏制覇を果たした横浜高校に憧れていた村田浩明監督は、悩んだ末、同校へ進学しました。

高校では2年春センバツ正捕手として出場。

1学年上の成瀬投手、同級生の涌井投手とバッテリーを組み、準優勝を果たしています。

2年生からは主将に就任。

しかし、優勝候補に名前をあげられていた秋の神奈川県大会では2回戦負け。

そこから村田浩明監督主将として、チームを引っ張り、
3年春の神奈川県大会、関東大会、3年夏の神奈川県大会優勝し、再び甲子園に出場しました。

…と書くいかにも、主力として活躍したように見えますが、
実は3年時には、2学年下にシニアの日本代表4番を打っていた福田永将選手(現・中日)が入学してきたために控えに回ることも多くありました。

そのため村田浩明監督はイライラが募っていて、6月にダルビッシュ有投手(現・カブス)のいた東北高校との招待試合では集中力を欠いて凡ミス。

小倉清一郎部長から怒られて、ラインカーを蹴り飛ばすなど、反抗的な態度を取ったこともあったそうです。

しかし、そのような経験も指導者となってからは、貴重な経験として財産となっていると言います。

3年夏の甲子園では主に終盤の守備固めとして、ベスト8入りに貢献。


卒業後は熱心な誘いのあった日本体育大学に進学しました。

村田浩明の指導者時代

大学では1年生から試合に出たものの、右肩を痛めた影響で徐々に出場機会を失っていきます。

大学3年生と4年生の時には、選手としての自分に見切りをつけ、横浜高校で学生コーチをされていました。

横浜高校の渡辺監督からはそのままコーチとして残ることも提案されましたが、
大学卒業後は、保健体育科の教師として、公立の霧ヶ丘高校に赴任しました。

「大学生の時に2年間、横浜でコーチとして勉強させてもらいました。渡辺監督に『残るか?』と声をかけていただきましたが、公立で勝負したいと考えていました。神奈川の県立校は長い間、甲子園に出ていません(1951年の希望ケ丘が最後)。横浜で行くよりも、大きなことが出来る。そう思ったんです」

スポーツ報知 

村田浩明の白山高校監督時代

霧が丘高校では4年間、野球部長を務めた後、2013年に公立の白山高校に赴任し、監督に就任します。

白山高校野球部の監督に就任した当初は、部員わずか4人しかおらず、その部員もロン毛にピアスにローファーといった出で立ちでした。

それでも、村田浩明監督は毎日800球を打撃投手として投げるなど、熱血指導でチームのために尽くします。

それを見た部員たちも徐々に変わっていきました。

そして、2014年春の神奈川県大会では公式戦2年ぶりの勝利!

さらに2018年夏には強豪ひしめく北神奈川県大会ベスト8に入りました!!

村田浩明のまとめ

横浜高校の監督に就任してからは、いきなりコロナウイルスによる甲子園中止、活動中止と逆境からのスタートとなりました。

それでも、白山高校野球部時代にもわずか4人の部員から、私立強豪と互角に叩けるチームを作り上げた村田浩明監督です。

再び横浜高校復活させるのは間違いないでしょうね!