琉球ブルーオーシャンズの三吉央起投手。
最速147kmk/hを投げる本格派のピッチャーです。
高校時代は3番手投手、大学時代にはトミー・ジョン手術を受けるなどの紆余曲折を経て、横浜市立大学としては初のプロ野球選手となっています。
けが乗り越え、沖縄初のプロ球団へ 横浜市大・三吉投手 https://t.co/o2NwfRNbUj
神奈川大学野球の2部リーグでプレーした横浜市大の三吉央起投手(23)=177センチ、77キロ=が、沖縄初のプロ球団「琉球ブルーオーシャンズ」へ入団することが決まった。 #神奈川大学— カナロコ by 神奈川新聞 (@KanalocoLocal) 2019年12月5日
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三吉央起のプロフィール
名前:三吉 央起(みよし おうき)
生年月日:1996年11月12日
出身:東京都品川区
身長:177cm
体重:77kg
投打:右投げ右打ち
ポジション:ピッチャー
経歴:東京都市大学付属小学校→東京都市大学付属中学校→東京都市大学付属高等学校→横浜市立大学→琉球ブルーオーシャンズ
三吉央起の小中学時代
三吉央起投手は小学2年生から「品川レインボーズ」で野球を始めました。
当時のポジションはキャッチャー。
中学時代は硬式野球部に所属し、キャッチャー兼ピッチャーとしてプレーしていました。
三吉央起の高校時代
高校時代は外野手兼三番手投手。
公式戦での登板は3試合しかありませんでした。
3年夏の西東京大会では1回も登板することなく3回戦敗退に終わっています。
三吉投手は「高校野球を不完全燃焼で終わってしまった」との想いから、大学でも野球を続けることを決意。
「中高と私立に通わせてもらったので」
と学費の安い横浜市立大学を受験し、合格しました。
三吉央起の大学時代
大学では高校の時の監督からピッチャーを勧められたこともあり、最初はピッチャーを希望。
しかし、部員が18人しかいないというチーム事情もあり、1年生の時はキャッチャーとしてプレーしていました。
2年生の夏からピッチャーに復帰。
3年春のリーグ戦では、4勝挙げ、最優秀投手賞を受賞します。
本日春季リーグ戦の閉会式が横浜スタジアムで行われました。本学からは三吉央起投手(③東京都市大付)が最優秀投手賞を受賞しました。
一言「この賞に満足せず、秋は優勝投手になれるように頑張ります!」 pic.twitter.com/AGHdwLVpci— 横浜市立大学 硬式野球部 (@ycubaseball) 2017年5月17日
新4年生春休みの静岡大学とのオープン戦では最速147km/hを計測。
その試合をたまたま見ていたスポーツライターから初めて取材を受け、当時女子マネジャー1人を含む部員たった12人のチームに現れた投手として野球メディア「BASEBALL GATE」に取り上げられました。
こちらがその時の記事ですね。
部員12人のチームに現れた最速147km/h右腕・三吉央起(横浜市立大)
この記事をきっかけに、三吉投手の人生は一変!
プロスカウトが視察に訪れるようになりました。
そこで、三吉投手は就職活動を止め、プロ野球選手を目指すことを決意します。
そんな矢先に三吉央起投手にアクシデントが!
トミー・ジョン手術
三吉央起投手は8月に右ひじを故障してします。
10月にトミー・ジョン手術を受け、就職浪人という形で大学卒業を1年延期。
その1年間でリハビリとトレーニングに励み、秋のNPBや独立リーグのトライアウトに備えることにしました。
トライアウト受験
三吉央起投手は大学5年生の11月、沖縄県初のプロ野球チームとして始動する琉球ブルーオーシャンズのトライアウトを受験します。
1年以上実戦から遠ざかっていた中でのテストでしたが、見事、合格!
琉球ブルーオーシャンズはNPB球団ではないものの、横浜市立大学出身者としては初のプロ野球選手となりました。
三吉央起のプレースタイル
三吉央起投手は最速147km/hを投げる本格派のピッチャーです。
変化球はフォーク、スライダー、チェンジアップなど。
落差のあるフォークボールが一番の武器。
モチベーションを保ちづらくなったときは山﨑康晃投手や岡野祐一郎投手のピッチング動画を見て自分を奮い立たせています。
三吉央起のまとめ
三吉央起投手はこれまでまであまり強くないチームに所属してばかりでしたので、一流の指導者からコーチを受ける機会はあまりありませんでした。
元プロ野球選手である琉球ブルーオーシャンズの清水直行監督、寺原隼人コーチの指導の下、どれだけ才能を伸ばしていくのか?
期待感しかない選手です!
次は横浜市立大学初NPBプレーヤーを目指して、新天地・沖縄でも活躍を続けてほしいですね。