東京大学野球部が元プロ野球選手の井手峻さんの新監督就任を発表!
ついに東大も元プロ野球選手が監督を務める時代がやってきました!
東大野球部監督に元中日・井手峻さん「さすが教科書通りというチームに育てたい」 プロでは投手で1勝、打者で1本塁打の頭脳派 https://t.co/LMGEdBdB6m pic.twitter.com/l9tmJYvzRo
— 中日ドラゴンズ 軟式 (@Dragons_mania) 2019年11月6日
名前の「峻」は「たかし」と読みます。
井手峻監督はただの東大卒のプロ野球選手ではありません!
東大出身としては、もっとも活躍したプロ野球選手なんです!
現役引退後も指導者・フロントとして50年ちかくプロ野球に携わっており、日本プロ野球への貢献度といった視点から見れば、早稲田大学の小宮山悟監督(元・ロッテ)よりも上かも!?
唯一の不安は75歳という年齢ですが、野球への熱意は衰え知らずで、71歳で中日のフロントを退職したあとにも、母校・新宿高校の外部コーチを務めていました。
75歳と言えば、悠々自適な老後を送ってもいい年齢なのに、東大の野球部に監督するなんて頭が下がりますね!
井手峻のプロフィール
名前:井手 峻(いで たかし)
生年月日:1994年2月13日
出身:東京都新宿区
経歴:東京都立新宿高等学校→東京大学→中日ドラゴンズ
井手峻の父
井手峻監督のお父さんは有名脚本家の井手俊郎さんです。
代表作は石坂洋次郎原作、原節子さん、池部良さん主演の『青い山脈』。
藤山一郎さんの歌う主題歌も大ヒットしました。
『青い山脈』について知らない人はお父さんやお母さんに聞いてみてくださいね!
もしかしたら、おじいちゃん、おばあちゃん世代かもしれませんが。
井手峻のアマチュア時代
井手峻監督は新宿高校を経て、現役で東京大学に入学。
野球部には内野手として入部しますが、2年で投手に転向。
3年でエースになると、春のリーグでは連勝で慶大から勝ち点を奪うなど活躍を見せます。
大学3年次には日本代表として第6回アジア野球選手権大会に出場。
日本の優勝に貢献しています。
井手峻監督の東大時代の同級生には『百万本のバラ』で有名なシンガーソングライターの加藤登紀子さんがいます。
加藤さんは今回の井手監督の就任にあたり
「75歳の同い年。私は人生の4幕目のクライマックスシーズンと呼んでいます。これからのご活躍、大いに期待しています。3回目の25歳、まだまだ若いんだしね」
と激励のメッセージを送っています。
井手峻のプロ野球選手時代
大学卒業後は三菱商事へ入社することになっていましたが、1966年第2次ドラフトで中日ドラゴンズから3位指名を受け入団。
1965年に大洋ホエールズに入団した新治伸治さんに次ぐ史上2人目の東大出身プロ野球選手(ドラフト制度発足後としては東大初の指名選手)となりました。
プロでは1年目から初勝利をマークします。
その後故障もあって1970年に外野手に転向。
俊足を活かして、代走、守備固めとして活躍します。
1973年の巨人戦では決勝の本塁打を放って話題になりました。
1976年に現役を引退。
出場試合数359試合は、東大卒のプロ野球選手としては最多です。
投手としては17試合に登板(3試合に先発)し、1勝4敗。
野手としては64打数12安打2打点、1本塁打、打率.188の成績を残しています。
井手峻の指導者時代
引退後はサラリーマンとなり、母校・東大のコーチも1年間務めました。
その後は中日に復帰して一軍と二軍のコーチを歴任。
1986年には二軍監督も務めています。
1987年からは球団のフロント入りし、球団取締役や取締役相談役を務めていました。
そして、2015年に中日を退職してからは、学生野球資格回復し、母校・新宿高校の外部コーチを務めていました。
井手峻のまとめ
井手峻監督は今回の就任にあたり
「基本をたたき込み、さすが東大は教科書通りだというチームに育てあげたい」
とのコメントをされています。
“教科書通り”という言葉は一見平凡さを感じさせますが、東大の教科書ならレベルが高そうですね!
来シーズンからの東大野球部の活躍に期待したいです。