独立リーグ

岸潤一郎(徳島インディゴソックス)がついにプロ入り!?大学中退の理由は?

徳島インディゴソックスのドラフト候補・岸潤一郎選手。
明徳義塾時代にはエースとして4度甲子園に出場、「明徳義塾史上No.1の天才」「甲子園の申し子」などと呼ばれたスター選手でした。

そんな岸選手ですが、大学を中退し、一度は野球を辞める決意をしました。
しかし、そこから独立リーグで野球を再開し、再びドラフト候補に名前が挙がるまでになっています。

プロフィール

名前:岸 潤一郎(きし じゅんいちろう)
生年月日:1996年12月8日
出身:兵庫県尼崎市
身長:174cm
体重:78kg
投打:右投げ右打ち
ポジション:遊撃手兼二塁手兼兼一塁手兼外野手
経歴:尼崎市立難波小学校→尼崎市立中央中学校→明徳義塾高校→拓殖大学(中退)→徳島インディゴソックス

小中学時代

岸選手は小学2年生から「成徳イーグルス」で軟式野球を始めました。
その後、「金楽寺少年野球クラブ」に移籍。
小学6年生の時にはセレクションを勝ち抜き、オリックス・バッファローズジュニア入りを果たしています。
中学時代は「西淀ボーイズ」でプレー。
中学3年生の時には全国で15人しか選ばれないNOMOジャパンの一員としてアメリカ遠征を経験しました。

高校時代

中学卒業後は、高知県にある明徳義塾高校に進学。
1年春から背番号13でベンチ入りを果たすと、リリーフで2試合に登板し、四国大会優勝を達成!
1年夏の甲子園では初戦(2回戦)は5番ライト、3回戦以降は4番ライトで出場。
ピッチャーとしても2試合計8イニングを無失点に抑え、ベスト4入りに貢献しました。

以後も甲子園には、4番エースとして2年夏、3年春、3年夏と3度も出場!
高校3年生の時にはU-18日本代表として、アジア選手権に出場し、準優勝に貢献しています。

また、高校3年の10月に行われた国体では、ピッチャーとして全3試合完投、4番打者としては初戦でサイクルヒットを達成するなど投打で活躍し、初優勝を果たしました。

高校時代からスカウトの評価も高かった岸選手でしたが、プロ野球志望届を提出せず、
明徳義塾・馬淵史郎監督の母校である拓殖大学へと進学しました。

大学時代

大学では1年春から3番・指名打者でリーグ戦に出場します。
しかし、その後は肩、ひじと相次いで故障し、トミー・ジョン手術を受けています。
そして、そのまま3年秋には野球部を退部大学も中退してしまいました。

退部理由

大学の野球部を退部した理由については
「手術をしてからは、どんどん『野球を楽しむ』という感覚がなくなっていきました。ここで完全に気持ちが切れてしまって」
とインタビューで答えています。

一方、自身のツイッターでは

野球から気持ちが離れていったのは、大学の指導者との確執もあったみたいですね。

独立リーグ時代

大学を退学後、一般企業に就職しようとしていた岸選手でしたが、徳島インディゴソックスの南啓介球団社長から、両親を通じて「(独立リーグの)アイランドリーグでプレーしてみないか」との誘いを受けます。
最初は断るつもりだった岸選手でしたが、
「もう一度、野球をしている姿が見たい」
という両親の言葉も大きな後押しとなり、独立リーグで再びプレーすることを決意しました。

徳島インディゴソックスでは、肘の不安もあり、1年目の前期はファースト、後期は開幕から外野手(ライト、センター)として出場します。
1年目は218打数60安打18打点、打率.275、38盗塁を記録し、盗塁王のタイトルを獲得しました。

プレースタイル

岸選手は野球センスにあふれたユーティリィープレーヤーです。
遠投110m、50m6秒2の高い身体能力を活かして、ショートをはじめ、セカンド、ファースト、センター、ライトを守ることができます。
高校通算24本塁打の長打力も魅力。
足も速く、大学まではピッチャーをしていたこともあり、あまり盗塁に対しては積極的ではありませんでしたが、独立リーグで野手に専念すると、1年目から38個の盗塁を記録し、盗塁王のタイトルを受賞しています。

ピッチャーとしては高校時代に最速146km/hを記録。
変化球はスライダー、カットボール、フォーク、チェンジアップなど。
スタミナも豊富で甲子園では5度の完投勝利を記録しています。

まとめ

岸選手は大学を中退して独立リーグに入団しているため、規定上、NPBのドラフトにかかれるのは2019年からです。
岸選手の俊足複数のポジションを守れるユーティリィティーぶりは、プロでも十分通用すると思います。
ぜひ、チャンスがあれば、プロの世界へ進んでほしいですね。